局アナ時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 08:27 UTC 版)
『全日本プロレス中継』の実況に抜擢されると、「ジャストミート!!」とスタン・ハンセンのウエスタン・ラリアット、小橋建太のムーンサルトプレス、川田利明の顔面蹴りで、「ファイヤー!!」と三沢光晴のダイビング・エルボーでそれぞれ連呼して広く知られる。「プ・プ・プ・プロレスニュゥ〜ス」のタイトルコールが印象的な番組内の『プロレス・ニュース』で「福沢ジャストミート朗」として黒縁眼鏡に白い鉢巻を巻き話題となる。90年代はプロレス以外の出演番組もこの名義を多く用いた。なお、「ジャストミート!!」を実況で使用しはじめた頃は、今のようにシャウトする形でなく、技が決まったことを冷静に伝える台詞として用いていた。 1991年にフリーとなった先輩・福留功男の後任として、『全国高等学校クイズ選手権』、『アメリカ横断ウルトラクイズ』の2代目総合司会となる。鉢巻を巻きながら、日本テレビのバラエティ番組に数多く出演し、『ズームイン!!サタデー』初代総合司会を経て、1998年に福留から引き継いで『ズームイン!!朝!』3代目総合司会となる。『ズームイン!!SUPER』で共演した大桃美代子と確執が生じて『ズームイン!!』降板の原因になったと報道された。 当時の日本テレビから受けた期待は大きく、『ウルトラクイズ』、『高校生クイズ』、『ズームイン』は福留から、『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』は逸見政孝(元フジテレビアナウンサー)から、『摩訶!ジョーシキの穴』は尊敬する古舘伊知郎から、それぞれ総合司会を受け継いだ。
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