プロレスニュース
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 06:40 UTC 版)
「全日本プロレス中継」の記事における「プロレスニュース」の解説
福澤朗が実況を担当した1990年代前半には、中継を行わなかった試合の結果や関連情報を伝える「プロレスニュース」というコーナーがあった。後に「プロレスニュースプラス1」と改め、1994年まで続いた。 当初は『ニュースプラス1』『NNN昼のニュース』『NNNきょうの出来事』などで使われていた報道スタジオから伝えた。その後、各番組専用のセットが完成すると、主に試合会場、中継が行われる地方都市に所在する観光スポット(岩手県営体育館で行われる大会の中継協力局だったテレビ岩手の近くにある盛岡城址公園など)、日本テレビの屋外、移動中のバスなどで、福澤が自分でデスク(=画板)を持って伝えるロケ方式に変更されている。福澤が事情で担当できない場合は、臨時で若林健治や金子茂など、他のプロレス実況担当アナウンサーが代わりに担当した。デスクにはネームプレートが付いていたが、福澤や金子などは漢字表記だったのに対し、野口敦史だけは手書きのひらがな表記となっていた。 「プロレスニュース」は「プ・プ・プ、プロレスにゅ~す」という福澤のタイトルコールで始まり、選手のコメントを福澤がものまねで代読したり、あまり注目を集めていない外国人選手を面白おかしくプッシュする、「どぉ~ですか!?」というくだりから始まるなど、くだけた感じの進行だった。福澤自身は、「プロレスニュース」のことを「前衛的ミニコーナー」と表現していた(「週刊プロレス」リレーコラムより)。 「プロレスニュース」に対し、馳浩(当時新日本プロレス)が「プロレスを馬鹿にしている。許せない」「ぶん殴ってやる。あのアナウンサーあまりにもふざけすぎだよ」と息巻いていた(後に和解した模様。馳が後年全日本に入団した際、その入団後第1戦を実況したのは、他でもない福澤である)。また若林健治は初期の代理出演の際、「私はこの『プロレスニュース』 が嫌いです、大嫌いです、誰が何と言っても嫌いです! 身内からも賛否両論、…『プロレスニュース』をお伝えしました」と、コーナーを締めくくったことがある。 1994年最初の「プロレスニュースプラス1」では、冒頭部分のみ本家のキャスター(桜田順子・真山勇一)と共演した。 「プロレスニュースプラス1」は、1994年3月の放送時間短縮時に終了する。その最終回は福澤アナが「『プロレスニュース』に否定的な熱烈的プロレスファン」に刺され、「いつか、こんな日が来ると思ってたぁ…」と言うシーンで終了という、前述のような状況を茶化した(当然スタッフとの寸劇で、演技もわざと下手に行っていた)、いかにもプロレスニュース的な幕引きであった。 1997年に「プロレスニュースリターンズ」という形で一時復活したが、数回のみで自然消滅した。
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