プロレス実況
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1977年世界オープンタッグ選手権最終戦・蔵前国技館でのザ・ファンクスVSザ・シーク&アブドーラ・ザ・ブッチャー戦、1981年の世界最強タッグ決定リーグ戦最終戦におけるスタン・ハンセンの突然の乱入(試合後の乱闘騒ぎで「これは全日本プロレスのリング上だ!!」とコメントしている)、その翌年の馬場・ハンセンの初一騎討ちなど、全日本プロレスの歴史的瞬間に数多く立ち会う。また1980年5月2日、後楽園ホールでのアブドーラ・ザ・ブッチャー対ザ・シーク戦で、倉持自身がザ・シークに襲撃され額を割られ救急車送りにされるという前代未聞のアクシデントにも遭遇した(ブッチャーVSシークは局の判断で未放送となった)。 全日本プロレス中継レギュラー枠最後の実況は日本武道館におけるテリー・ゴディ・スティーブ・ウィリアムス組対ハンセン・天龍源一郎組の世界タッグ選手権。ヒザを痛めていた天龍の不甲斐なさにハンセンと天龍が仲間割れしたシーンを「何だー!何だー!何が起こっている!」と実況。リング上での挨拶では「会場の皆さん!視聴率が欲しいんです!」と述べている。 また、東京ドームで行われた「日米レスリングサミット」ではメインイベントのスタン・ハンセン対ハルク・ホーガン戦を実況。フィニッシュが近づいたことを感じた倉持はレポートする徳光和夫を制し「ちょっと待ってください!実況を続けます!」と述べ、「ハルク・ホーガンのアックスボンバー!これがアックスボンバーだ!」と実況。これが全日本プロレス最後の実況となった。
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プロレス実況
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「清水一郎 (アナウンサー)」の記事における「プロレス実況」の解説
プロレス中継では、力道山最後のテレビ中継となったインターナショナル選手権試合、ザ・デストロイヤー戦の実況、全盛期のジャイアント馬場の試合(対ザ・デストロイヤー戦)や、馬場とアントニオ猪木とのBI砲の試合、馬場がジャック・ブリスコからNWA世界ヘビー級王座を奪取した試合など、数々の激闘を実況した。解説者の芳の里や山田隆とは長くコンビを組み、映像が多く現存している。東京プロレスより復帰したアントニオ猪木がメインエベンターで出始めた頃、実況で清水はアントニオ猪木と呼ばず、「猪木寛至」と本名で呼んだこともあった。 実況スタイルは独特のトーンで試合を淡々と、そしてシリアスに伝えるシンプルなものであった。このエッセンスは後続の多くの実況アナウンサーに受け継がれていった。
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