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清水一郎 (アナウンサー)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/24 05:00 UTC 版)

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しみず いちろう
清水 一郎
プロフィール
本名 清水 一郎
出身地 日本
生年月日 1933年
没年月日 1997年10月18日
職歴 NTVアナウンサー
活動期間 1950年代 -
ジャンル 報道・スポーツなど
著名な家族 清水永二(ドラム奏者)
出演番組・活動
出演経歴 日本プロレス中継
全日本プロレス中継
ほか

清水 一郎(しみず いちろう、1933年 - 1997年10月18日)は、元日本テレビアナウンサー。日本のプロレス実況の草分けの一人である。

経歴

入社してまもなくプロレス中継に関わった。1957年10月7日、東京・後楽園球場での東富士豊登組対ダニー・ブレッチェス・ハロルド坂田組のタッグマッチでプロレス実況デビュー[1]徳光和夫や佐土一正らと共に「日本プロレス中継」の実況を担当した。1972年に日本テレビでの日本プロレス中継が終了した後は、事実上の後続番組である「全日本プロレス中継」の実況を1978年まで務めた。

1997年10月18日に死去。享年64。

プロレス実況

プロレス中継では、力道山最後のテレビ中継となったインターナショナル選手権試合、ザ・デストロイヤー戦の実況[2]、全盛期のジャイアント馬場の試合[3](対ザ・デストロイヤー戦)や、馬場とアントニオ猪木とのBI砲の試合、馬場がジャック・ブリスコからNWA世界ヘビー級王座を奪取した試合など、数々の激闘を実況した。解説者の芳の里山田隆とは長くコンビを組み、映像が多く現存している。東京プロレスより復帰したアントニオ猪木がメインエベンターで出始めた頃、実況で清水はアントニオ猪木と呼ばず、「猪木寛至」と本名で呼んだこともあった。

実況スタイルは独特のトーンで試合を淡々と、そしてシリアスに伝えるシンプルなものであった。このエッセンスは後続の多くの実況アナウンサーに受け継がれていった。

脚注

  1. ^ この日のメインイベントは力道山対ルー・テーズの世界選手権試合第1戦で、清水のデビュー戦はそのセミファイナルの試合であった。
  2. ^ WA- Rikidozan vs The Destroyer Part 1 Youtube
  3. ^ JWA: Giant Baba vs. The Destroyer Youtube

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