2番組が毎週放送へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 05:25 UTC 版)
「三菱ダイヤモンド・アワー」の記事における「2番組が毎週放送へ」の解説
その後、1968年2月16日放送分をもって『ディズニーランド』の金曜枠における放送を終了。金曜枠は2月23日より『日本プロレス中継』の放送に一本化され、プロレス中継枠となった。 また、地方都市では当時民放テレビが1局しかなく、事実上オープンネット状態であったことから、『三菱ダイヤモンド・アワー』として放送された中継を含めてプロレス中継をネットしていた放送局も少なくなかった(近鉄金曜劇場の項も参照)。 このころ、メインイベントに世界選手権級のタイトルマッチやワールド大リーグ戦の試合が絡んでいた場合、主力選手に花束が贈呈されることになっていて、「この放送をお送りいたしております、三菱電機(後年は鈴木自動車工業も)より花束が贈呈されます」とリングアナウンサー・あるいはテレビ実況席の解説者(清水一郎・倉持隆夫・徳光和夫・芳の里・田鶴浜弘ら)から紹介されていた。このスポンサーからの花束贈呈は、『全日本プロレス中継』初期のころにも引き継がれたほか、日本教育テレビ(現・テレビ朝日)が放送した「NETワールドプロレスリング」、および「NET日本プロレスリング中継」においても同様に協賛スポンサーの読み上げが行われた。 また、番組中には生コマーシャルとしてリング上などで掃除機の実演が行われたほか、解説者が「この放送は、皆様ご覧のテレビジョンを初めとする数多くの家庭電器品でおなじみの三菱電機の提供でお送りをいたしております」とコメントすることもあった。 一方の『ディズニーランド』は1968年4月7日から日曜19時台で放送され、枠移動後も『三菱ダイヤモンド・アワー』枠となり、本枠は金曜20時台と日曜19時台との並行放送となった。しかし『ディズニーランド』が1969年10月5日から日曜10時台に移動することに伴い、1969年9月21日を以って『三菱ダイヤモンド・アワー』日曜枠が終了し、1969年9月26日からは本枠は再度『日本プロレス中継』を放送する金曜枠のみとなった。その後、この枠は三菱電機を筆頭協賛社とした複数提供に移行していた。
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