2番目の教会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 04:55 UTC 版)
「セントアンドリューズ大聖堂 (シンガポール)」の記事における「2番目の教会」の解説
新たな教会の建設は、当時の海峡植民地の知事(英語版)、ウィリアム・ジョン・バターワース(英語版)により開始され、技官であり監獄長のロナルド・マクファーソン大佐(英語版)により、ゴシック・リヴァイヴァル建築様式で設計された。以前の教会の倍の高さで、尖塔を持たない設計であったが、建築中に基礎が構造の重さに耐えきれないことが判明し、代わって軽量の尖塔が採用された。初期のシンガポールでは一般的であった、インドの囚人労働者による建設を容易に進められるよう、計画は簡素化された。建設中にマクファーソンはマラッカへ異動することとなり、教会の完成は、後に市庁舎(現ヴィクトリアシアター・アンド・コンサートホール(英語版))を設計したジョン・ベネットを含む3名の政府職員に託された。 1856年3月4日にカルカッタ教区(英語版)のダニエル・ウィルソン主教が礎石を敷設し、1861年に建物が完成した。初の礼拝は1861年10月1日に行われ、1862年1月25日にジョージ・コットン主教(英語版)により聖別を受けた。 セントアンドリューズ教会の宣教は1856年6月25日に始まり、シンガポール初の聖公会の福音派におけるアウトリーチが始まった。
※この「2番目の教会」の解説は、「セントアンドリューズ大聖堂 (シンガポール)」の解説の一部です。
「2番目の教会」を含む「セントアンドリューズ大聖堂 (シンガポール)」の記事については、「セントアンドリューズ大聖堂 (シンガポール)」の概要を参照ください。
- 2番目の教会のページへのリンク