プロレス四天王の全盛期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 09:40 UTC 版)
「全日本プロレス」の記事における「プロレス四天王の全盛期」の解説
四天王プロレスの完成 1990年、天龍をはじめとする多くの選手がSWSに移籍して存続が危惧される。だが、2代目タイガーマスクとして活躍していた三沢が率いる「超世代軍」が鶴田に挑む構図が生まれ、新たなブームを引き起こす。鶴田が率いる正規軍、三沢が率いる超世代軍、それに外国人選手との戦いが主軸となった。 1992年、鶴田が病気のため一線から退くと三沢・川田利明・小橋健太・田上明の「プロレス四天王」による戦いが中心となり「四天王プロレス」と呼ばれる形へ発展。ジャパンプロレスのハイスパートレスリング、天龍革命によってもたらされた激しいプロレスを出発点とする危険度の高い技を次々と繰り出すスタイル(詳しくは「王道プロレス」を参照)は先鋭化し続け、テレビ解説をしていた馬場に「高度すぎて俺には解説できない」と言わしめるほどだった。この時期に空前絶後の利益をおさめ、年間7回の日本武道館大会を中心に経営的な成功を勝ち取った。日本武道館大会は発売後即完売となるほどの人気で、1998年には東京ドームで初興行を開催している。この興行により、「王道プロレス」のキャッチコピーが浸透したのである。
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