宣化天皇
武烈天皇以来の旧臣、大伴金村や物部麁鹿火を大連とし、そして新たに蘇我稲目を大臣、阿倍大麻呂臣を大夫(まえつきみ)とした。
「日本書紀」では、新羅が任那を侵略したので大伴金村に詔しその子、大伴磐(磐は筑紫に留まり政治をみた)と大伴狭手彦を遣わし任那を助けさらに百済を救ったとある。
この一連の事件は、一度失脚した旧勢力の大伴金村が名誉挽回のために軍を起こし、南朝鮮経営の失敗を取り返すためのものであったといわれている。
いずれにしても朝鮮経営は行き詰まっていた。
第28代天皇 | |
天皇名 | 宣化天皇 |
読み方 | せんかてんのう |
名・諱等 | 武小広国押盾尊 |
読み方 | たけおひろくにおしたてのみこと |
時代区分 | 古代 |
天皇在位 | 535?年から539?年 |
生年 | 生年不詳 |
没年 | 没年不詳 |
父 | 継体天皇 |
母 | 目子媛 |
兄弟 | 安閑・欽明 |
配偶者 | 橘仲皇女 |
皇子女 | 上殖皇子・火焔皇子 |
即位宮 | 檜隈廬入野宮 |
天皇陵 | 身狹桃花鳥坂上陵 |
所在地 | 奈良県橿原市鳥屋町 |
宣化天皇
(武小廣國押盾尊 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/14 02:33 UTC 版)
宣化天皇(せんかてんのう、旧字体:宣化󠄁天皇、467年?〈雄略天皇11年? 〉- 539年3月15日?〈宣化天皇4年2月10日〉)は、日本の第28代天皇(在位:536年1月?〈安閑天皇2年12月〉 - 539年3月15日?〈宣化天皇4年2月10日〉)。
- ^ 「古事記」宣化天皇段(「宣化記」)には「弟(いろと)、建小広国押楯(たけをひろくこおしたて)命、檜垌(ひのくま)の廬入野(いほり)宮に坐しまして、天の下治めらしめしき」とある。なお、「宣化記」には系譜記事として、宣化天皇が二人の比売(ひめ)を娶って産まれた子どもが男子三人・女子二人であることと、その子孫にあたる氏族について書いている。
- 武小廣國押盾尊のページへのリンク