日本相撲協会理事として
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「高望山大造」の記事における「日本相撲協会理事として」の解説
2018年2月の理事選挙に再び出馬、一門外の票も上積みし、12票を得てトップ当選を果たした。この選挙では現職理事・貴乃花光司の当落を巡り話題となる中で、前回落選の雪辱を果たした。この初当選の弁で『一門が団結した結果。(今後に向けて)みんなで一緒にやっていかないといけない』と述べた。3月28日の職務分掌で大阪場所部長に就任した。 また2019年9月場所には、審判部長代理に就任することとなった。これは、現職の審判部長である阿武松が高血圧の治療により休場することになったためである。代理就任中の千秋楽の表彰式では、9月場所優勝の関脇・御嶽海久司、11月場所優勝の横綱・白鵬翔への優勝旗授与も担当している。 2020年1月30日の役員候補選は定員を超過しなかったため2008年以来6期12年ぶりに無投票となり、高島を含む理事候補10人、副理事候補3人が全員当選。同年3月23日の評議員会で正式に理事として選任された。 2021年3月31日の照ノ富士春雄の大関復帰昇進の伝達式では、協会理事として使者を務めた(同じ一門の審判委員である浅香山が同行)。また同年7月21日、照ノ富士の横綱昇進の伝達式でも使者を務めている(同行者も4ヶ月前と同様に浅香山であった)。 2021年9月場所前に所属する宮城野部屋で北青鵬・幕下以下の力士が新型コロナウイルスに感染し、部屋に出入りしていた他の全関係者も本場所を全休することとなったが、高島は部屋に出入りしてなかったためこの場所の出場が認められた。 2022年3月28日の役員改選の際には停年が近いことから理事に立候補せず、30日に発表された職務分掌により、役員待遇委員に任命されたことが明らかとなった。
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日本相撲協会理事として
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「益荒雄広生」の記事における「日本相撲協会理事として」の解説
2018年2月1日、相撲協会理事選に貴乃花一門から立候補し、同月2日、理事に初当選した。同選挙では一門の総帥である貴乃花が落選しており、阿武松は「仕事をさせていただく可能性ができたので相撲協会の一員として、ファンの皆さんに愛される、そして活力ある組織にしたい」と、事実上の所信表明を終始、引き締まった表情で口にした。 この役員改選による新たな職務分掌では審判部長(ドーピング防止委員長)、新弟子検査担当という要職を与えられた。これは八角理事長(元横綱・北勝海)の再選に賛同し、一門の総帥であり渦中の人物である貴乃花と距離を置いたことからなる抜擢とされている。審判部長として初めて臨んだ同年5月場所は栃ノ心の大関昇進を賭ける場所と重なり、千秋楽に八角理事長へ昇進の可否を審議する臨時理事会の開催を要請するという大事に携わった。またこの千秋楽の表彰式では、5度目の優勝を果たした横綱・鶴竜への優勝旗授与も担当した。9月場所は大相撲史上初の三賞すべて該当者なしという事態となったが、審判部長として「若手がはね返されたということ」と正当性を主張した。 2019年5月場所では、物言いの際の場内説明の不正確さが問題となった。11日目の朝乃山 - 佐田の海戦では、阿武松が両力士の四股名とつま先やかかとの部位が混同された説明を行ったことで混乱を招き、場内が騒然とした。しどろもどろのアナウンスに一時はブーイングが起こったが、最終的に正しいアナウンスを行ったことで場内は収まった。しかし13日目の朝乃山 - 栃ノ心戦での物言いで6分にも及ぶ協議の後、ビデオ映像ではなく審判の目で見た判定内容と説明しなかったうえ「軍配差し違えで西方力士(栃ノ心)の勝ちと決定いたしました」と勝った力士を間違えて述べたことから、取組後に相撲協会に抗議電話が殺到しさらには誤審疑惑を招く事態となった。千秋楽の剣翔 - 貴源治戦でも両力士のしこ名を失念して口ごもったり、東西を逆に説明するなどで場内を騒がせた。 本来は横綱推薦や横綱に関する案件を扱う横綱審議委員会も、場所後の例会で矢野弘典委員長が「審判は絶対なので権威を確立させるためにも、指導をしっかりしてほしい」と一連のつじつまの合わない場内説明に異例の苦言を呈した。この指摘を受け、阿武松は「私の修行不足。言葉足らずなどの部分を反省し、次に向かっていきたい」とコメントしている。 6月25日、高血圧の症状で入院治療に専念するため7月場所は審判部長としての職務を全休することになった。この場所では境川理事(九州場所部長)が審判部長代理として担当した。また9月6日、9月場所の休場も発表され、高島理事(大阪場所部長)が代理担当となった。 9月22日、同日の報道で高血圧など体調不良を理由に退職の意向を固めたことが関係者の話で分かった。8月に退職の意向を協会に伝え、慰留を受けたが意思は変わらず、22日の阿武松部屋千秋楽パーティーで退職の意向を出席者に報告したという。同月26日の理事会で、阿武松は阿武松部屋付きの21代音羽山(元幕内・大道)と名跡交換をし、阿武松部屋は21代音羽山改め13代阿武松が継承、22代音羽山となった自身は退職することが承認された(全て2019年9月26日付)。引退後はしばらく、年寄名跡の「音羽山」は自身で所有しており、尾上部屋所属の元天鎧鵬貴由輝が借株で襲名していたが、2020年5月30日に弟子の阿武咲に譲渡した(譲渡後も天鎧鵬が引き続き借株で襲名している)。
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日本相撲協会理事として
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「両国梶之助」の記事における「日本相撲協会理事として」の解説
中立を襲名していた時から審判委員を務めていたが、2012年2月25日には、同月13日に急逝した同門の田子ノ浦の後任として、巡業部から審判部に異動した(事実上の再任)。田子ノ浦とは大学、部屋において先輩・後輩の関係でもあった。 2016年1月29日の日本相撲協会理事選挙に立候補し初当選、3月30日の職務分掌で九州場所部長に就任した。 また理事就任以降、審判部長代理を4度務めている。1度目は2018年3月場所で、これは前年10月に現職の審判部長である二所ノ関が病で倒れ、部長代理を11月場所は伊勢ケ濱が、さらに翌年1月場所は出羽海がそれぞれ1場所ずつ務めていた流れで、臨時担当することになったものである。この3月場所では、千秋楽結びの一番である鶴竜力三郎-髙安晃戦での微妙な判定に物言いをつけ、取り直しの決定を下すなど審判部長として存在感を示した。2度目は2019年7月場所で、やはり現職であった阿武松が高血圧の治療に専念すべくこの場所を休場することになったためである。審判部長の不在はこの翌年3月まで続き、境川は2020年1月場所・3月場所にも代理を務めた。 2020年1月30日の役員候補選は定員を超過しなかったため2008年以来6期12年ぶりに無投票となり、境川を含む理事候補10人、副理事候補3人が全員当選。同年3月23日の評議員会で正式に理事として選任された。
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日本相撲協会理事として
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「小城ノ花昭和」の記事における「日本相撲協会理事として」の解説
2016年1月29日の日本相撲協会理事選挙に立候補し初当選、3月30日の職務分掌で名古屋場所部長に就任した。 同年9月場所には、同じ出羽海一門の副理事で審判部副部長を務める藤島が腰痛で審判の業務から外れたため、代役として審判長を務めた。また2018年1月場所には、審判部長代理に就任することとなった。これは、現職の審判部長である二所ノ関が10月に病で倒れ、11月場所に部長代理となっていた伊勢ケ濱が、弟子である日馬富士公平の暴行問題の責任を取る形で辞任したことによる措置である。この1月場所千秋楽の表彰式では部長代理として、優勝力士である栃ノ心剛史への優勝旗授与も担当した。また同年5月場所後の栃ノ心の大関昇進伝達式、2019年3月場所後の貴景勝光信の大関昇進伝達式、および2020年3月場所後の朝乃山英樹の大関昇進伝達式では、ともに協会理事として使者を務めた。 2020年1月30日の役員候補選は定員を超過しなかったため2008年以来6期12年ぶりに無投票となり、出羽海を含む理事候補10人、副理事候補3人が全員当選。同年3月23日の評議員会で正式に理事として選任された。
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