宗教的予言・決定論としての批判
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「マルクス主義批判」の記事における「宗教的予言・決定論としての批判」の解説
共産主義は資本主義の止揚された姿なので、マルクスは先進国で共産主義革命が起こると予言したが、実際に起こったのは発展途上国のロシアであった。 科学哲学者のカール・ポパーは、マルクス主義は科学を自称しているが反証可能性がないため科学ではない、と指摘している。共産主義社会の到来を予言したが、時期を明確にしていないので、永遠に「いつか共産主義社会が到来する」と言い続けていたらその予言は外れることはない。これは歴史上言い続けられてきた「いつか最後の審判が訪れる」「千年王国は近づいた」といった宗教的予言と同種の構造であり、科学として正誤を確認しようがないのである。 矢内原忠雄は「マルクス主義と基督教」(一粒社 1932)においてキリスト教とマルクス主義は類似しているが、マルクス主義はキリスト教に匹敵するところではないと批判している。 小泉信三や小室直樹もマルクス主義を宗教として批判している。小泉信三によれば、社会主義の、まず原始共産制から階級分化が起こり、やがて共産主義社会の到来で階級対立がなくなるという考えは、キリスト教的な千年王国待望論で、宗教的信仰であったと批判され、また、階級が消滅した後の世界についてマルクス主義は具体的なことをほとんど何も語っていないが、闘争のない一切が平和と幸福に満ちた停止した社会とすれば、それは皮肉にもマルクスが否定したユートピアのように聞こえる。未開社会やサルのような動物の社会でも、順位制という身分制度があり、原始共産制は見られない。小泉信三は、社会主義は科学ではなく、労働者の資本家に対する体系化された嫉妬の情であると指摘している。 マルクス主義の理論体系は倫理的指令によって決定づけられ、世界の隅々まで解明しつくすカトリック神学体系に匹敵するものだったともいわれ、神によって強者の富者が否定され,弱者の貧者が救済され、恩寵として両者が逆転するという「マリアの賛歌」や、「ヨハネの黙示録」などの思想を継承した「破局的な恐慌」をマルクスが述べるなど、マルクス主義はキリスト教的革命論の継承者とも指摘されている。 1948年、上智大学教授だったヨゼフ・ロゲンドルフはマルクス主義について「その見せかけの厳密な論理性の背後には、経済史の恐しい展開につれて一歩一歩近づいてくる最後の審判の黙示的な幻影の火が燃えている。実際、今世紀に於ける全体主義哲学はすべて、キリスト教会を追放した結果近代社会に出来た大穴を埋めるべく、反教会の旗印も鮮かに乗りこんできた異教なのである。宗教のみがそそり立てることのできる忠誠と献身と雄々しさの感情は悉く彼等の手中に帰した。彼等もまた、キリスト教と同じように殉教者も、祭式も行列も、そしてドストエフスキーがすでに予言しているように、大審問官の宗教裁判まで、取りそろえている」と書いた。 猪木正道は『共産主義の系譜』(1949年)において「マルクスは教祖とし、資本論を聖典とする一大教会の形態をとり、法王、枢機官、僧正、司祭といった大小の聖職者を生み出し、僧侶の差別さえあらわれる。マルクス主義が負のキリスト教(Negative Christianity)と呼ばれるのはこのためである」とのべている。 1966年に清水幾太郎はマルクス主義などの19世紀の「大思想の分解を正面から認め,それに堪えて行かなければならない」と指摘した。当時のアカデミズムはマルクス主義に制圧された時代であったため、清水は転向者とみなされた。 哲学者の梅本克己は1967年に、マルクスは資本主義の崩壊を予測したが、20世紀に資本主義は発展する一方、革命によって成立した共産主義が前近代的独裁国家となっていることを背景に、厳密な意味でマルクスの予測は外れたので、崩壊しているのはマルクス主義の方だと指摘した。こうした梅本の指摘は「神の死」に匹敵する「マルクスの死」とされた。 ズビグネフ・ブレジンスキーは「共産主義が20世紀の歴史にこれほど大きな位置を占めてきたのは教義の極度の単純化が時代に合っていたからだといえよう。あらゆる悪の根源が私有財産制度にあるとした共産主義は、財産を共有することで真に公正な社会が、したがって人間性の完成が達成できると仮定した。」「インテリにとって贖罪のための革命を推進する政治活動や合理的な計画によって公正な社会を実現しようとする国家統制は魅力的であった」とし、マルクス主義を宗教思想としみなし、「共産主義は理性の力を信じ,完全な社会を建設しようとした。高いモラルによって動かされる社会を作るために,人間へのもっとも大きな愛と,抑圧への怒りを結集したのである。それによって最高の頭脳,最良の理想主義的精神を持った人々の心をとらえた。にもかかわらず,共産主義は,今世紀はもちろん他の世紀にも類を見ないほどの害悪を生んだ」と批判した。 経済学者・政治哲学者マレー・ロスバードは、マルクスの哲学用語は曖昧で漠然としたものであり、マルクスの弁証法は根拠のない断言・決定論であり、マルクスの哲学体系は見せかけの誤謬の塊りであるとして批判する。マルクスは前千年王国説のハルマゲドン (世界最終戦争)の予言のように、「歴史の法則」を「科学的に」発見したと主張するが、たとえば、労働者はますます貧困に苦しむとマルクスは予言したが、西側諸国の労働者の生活水準はおしなべて上昇した。マルクス主義者は、貧困とは資本家階級との関係において存在すると反論したが、しかし、資本家が12隻のヨットを所有しているのに対し、労働者が1隻しか所有していないからといって、大量の殺人をともなう血なまぐさい革命を行う必要があるのか。マルクス主義者は、人々の人生を決定論として技術的に説明しているだけで、もはや無効となった古びた主張を頑迷に保持するが、これは科学的または合理的な態度ではなく、神秘主義または宗教家の態度であるとロスバードは批判する。
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