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あわ‐の‐くに〔あは‐〕【安房国】

読み方:あわのくに

安房


安房国

読み方:アワノクニ(awanokuni)

旧国名現在の千葉県安房郡


安房国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/19 10:35 UTC 版)

安房国

-安房国
-東海道
別称 房州(ぼうしゅう)
所属 東海道
相当領域 千葉県南部
諸元
国力 中国
距離 遠国
4郡32郷
国内主要施設
安房国府 千葉県南房総市
安房国分寺 千葉県館山市安房国分寺跡
安房国分尼寺 (未詳)
一宮 安房神社(千葉県館山市)
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安房国(あわのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属し、現在の千葉県南部にあたる。

「安房」の名称と由来

古語拾遺』によれば、阿波国において穀物を栽培していた天富命は、東国により良い土地を求め阿波の忌部氏らを率いて黒潮に乗り、房総半島南端の布良の浜に上陸し開拓を進めた。そして阿波の忌部氏の住んだ所は、「阿波」の名をとって「安房」と呼ばれたという[1]。また、『古語拾遺』の説のほか、『日本書紀景行天皇53年10月条の東国巡狩の折の淡水門に因むとする説もある[2]

現在の行政区分での領域

明治維新の直前の領域は現在以下のようになっている。現在の行政区域で言うと、千葉県の南部の地域が旧安房国に該当する。

沿革

律令制以前のこの地域には、阿波国造長狭国造の2つの国造が置かれていた。律令制において令制国である上総国の一部となり、養老2年5月2日718年6月4日)、上総国のうち阿波国造と長狭国造の領域だった平群郡安房郡朝夷郡長狭郡の4郡を分けて安房国とした[1]。国造は「阿波」の表記であり、藤原京出土木簡に「己亥年十月上挟国阿波評松里」(己亥年は西暦699年)とあるなど、)の表記にもゆれがあるが、これに先立つ和銅6年(713年)の好字令で南海道の「粟国」が「阿波国」に変更されており「安房」の表記となった。天平13年12月10日742年1月20日)に上総国に合したが、天平宝字元年(757年)に元に戻され、東海道に属する一国となり、国級は中国、距離は遠国とされる[1]

国府は現在の南房総市府中付近に置かれ、古代末期から中世にかけて丸氏、長狭氏、安西氏神余氏などの武士団が活動し、平安時代末期には源頼朝の再起の地となる。鎌倉時代守護は不明。室町時代の守護には結城氏上杉氏が就いた。15世紀半ば頃より里見氏が台頭し、戦国期には安房統一を果たして上総から下総の一部に至るまで勢力を張った。

豊臣秀吉による小田原城攻め以後は、安房一国が里見氏の領地となった。関ヶ原の戦いでは、里見氏は徳川家康を支援して加封を受けたものの、江戸幕府成立後の慶長19年(1614年)に里見忠義大久保忠隣改易に連座して伯耆国倉吉に転封。その後は、東条藩勝山藩北条藩館山藩などの諸藩と、幕府領旗本領が置かれた。村数は280ヵ村(天保期)。明治2年(1869年)安房では勝山、館山の2藩に、新たに長尾藩花房藩の2藩が置かれた。この地の幕府領・旗本領は安房上総知県事・柴山典の管轄となり、翌年に宮谷県が置かれて柴山典が権知事となり、安房4郡の約5万6千石を管理した。明治4年(1872年)、廃藩置県によって木更津県に編入され、明治6年(1874年)木更津県と印旛県の合併により千葉県に編入された。明治30年(1897年)には安房国4郡が統合されて、千葉県安房郡に再編された。

明治以降の沿革

国内の施設

全ての座標を示した地図 - OSM
全座標を出力 - KML

国府

国府は『和名抄』によれば平群郡にあったとされ、現在の南房総市府中付近に推定される。しかし正確な位置は明らかでない。

国分寺

神社

安房神社(千葉県館山市)

延喜式内社

延喜式神名帳』には、大社2座2社・小社4座4社の計6座6社が記載されている(「安房国の式内社一覧」参照)。大社2社は以下に示すもので、安房坐神社は名神大社である。
鶴谷八幡宮(千葉県館山市)

総社一宮以下

『中世諸国一宮制の基礎的研究』に基づく一宮以下の一覧[4]

洲崎神社(館山市洲崎)を一宮、洲宮神社(館山市洲宮)を二宮とする説もあるが、これは「洲の神」を祀る神社として2社一体であった洲崎神社・洲宮神社の間での呼称と見られている[4]

安国寺利生塔

  • 安国寺 - 仏日山安国寺(鴨川市北風原、本尊:聖観世音菩薩)が継承。
  • 利生塔 - 未詳。

いずれも律令時代の駅。

馬牧

城館

湊・津

内海

  • 保田湊
  • 勝山湊
  • 那古湊
  • 北条湊
  • 八幡湊
  • 正木湊

外海

  • 白子湊
  • 和田湊
  • 磯村湊
  • 余瀬湊
  • 天津湊
  • 小湊

地域

古代-中世

郡と荘園

中世-近世

安房国の藩

郡と村

歌川広重六十余州名所図会-安房小湊内浦
  • ①安房郡(平群郡・朝夷郡・長狭郡が1897年に一部となる)
    • 館山町、北条町、豊津村、館野村、九重村、稲都村、豊房村
      長尾村、富崎村、神戸村、西岬村
  • ②平群郡
    • 勝山村、佐久間村、保田村、富浦村、八束村、岩井村、平群村、国府村
      滝田村、凪原村、船形村
  • ③朝夷郡
    • 曦村、七浦村、健田村、千歳村、満禄村、豊田村、南三原村、和田村
      北三原村、白浜村、江見村
  • ④長狭郡
    • 鴨川町、田原村、西条村、東条村、大山村、吉尾村、由基村、曽呂村
      太海村、天津町、湊村

石高

  • 95736

人口

  • 1721年(享保6年) - 11万5,579人
  • 1750年(寛延3年) - 15万8,440人
  • 1756年(宝暦6年) - 13万7,565人
  • 1786年(天明6年) - 12万5,052人
  • 1792年(寛政4年) - 13万836人
  • 1798年(寛政10年)- 13万3,513人
  • 1804年(文化元年)- 13万2,993人
  • 1822年(文政5年) - 13万9,662人
  • 1828年(文政11年)- 14万830人
  • 1834年(天保5年) - 14万4,581人
  • 1840年(天保11年)- 13万9,442人
  • 1846年(弘化3年) - 14万3,500人
  • 1872年(明治5年) - 15万4,683人

出典: 内閣統計局・編、速水融・復刻版監修解題、『国勢調査以前日本人口統計集成』巻1(1992年)及び別巻1(1993年)、東洋書林

人物

国司

安房守

守護

鎌倉幕府

室町幕府

武家官位・官途名としての安房守

脚注

  1. ^ a b c 『千葉県の地名(日本歴史地名大系 12)』 1063頁。
  2. ^ 『日本古代史地名事典』 228頁。
  3. ^ 安房国分寺跡(南房総データベース)。
  4. ^ a b c d 『中世諸国一宮制の基礎的研究』(岩田書院、2000年)pp. 202-204。
  5. ^ 安房国分寺 境内説明板。
  6. ^ 須田茂『房総諸藩録』崙書房出版、1985年3月10日

参考文献

  • 小笠原長和監修 『千葉県の地名(日本歴史地名大系 12)』 平凡社、1996年、ISBN 4-582-49012-3
  • 加藤謙吉・他編『日本古代史地名事典』 雄山閣、2007年、ISBN 978-4-639-01995-4

関連項目

外部リンク

先代
上総国から分割
再度分割
区域の変遷
718年 - 742年
757年 - 1868年
次代
上総国に併合
安房上総知県事

安房国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 23:36 UTC 版)

南総里見八犬伝」の記事における「安房国」の解説

安房国は里見氏領国で、平群郡安房郡朝夷郡長狭郡の4郡で構成される。『八犬伝』では発端部の舞台であり、物語の後半でも犬江親兵衛再登場八犬士結集里見家への仕官によって舞台となる。『八犬伝』の発端部は、軍記物記された「里見義実の安房入国伝説」(後述)を土台作られている。 富山(とやま) 安房随一高峰として描かれる八犬伝世界聖地発端伏姫はこの山で自害し大団円士たちはこの山に消えた実在する富山南房総市)は「とみさん」と読み標高349メートルの山である。 館山城たてやまじょう) 『八犬伝』では発端安西景連居城として、大団円では犬江親兵衛与えられる城として登場する諸書でもしばしば混同されるが、蟇田素藤居城とした「館山城」は上総国にあり、安西氏の旧城とは別である。 実際館山城館山市)には、史実里見氏戦国時代末に本拠移した。現在、模擬天守館山市立博物館分館となっている。

※この「安房国」の解説は、「南総里見八犬伝」の解説の一部です。
「安房国」を含む「南総里見八犬伝」の記事については、「南総里見八犬伝」の概要を参照ください。

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安房国

出典:『Wiktionary』 (2021/08/15 08:58 UTC 版)

固有名詞

あわのくに

  1. 日本旧国令制国)のひとつ。現在千葉県南部にあたる。

関連語



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