大関候補へとは? わかりやすく解説

大関候補へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 07:06 UTC 版)

栃煌山雄一郎」の記事における「大関候補へ」の解説

2010年5月場所で6場所ぶりに西小結へ復帰しその5月場所では7勝8敗と負け越したものの、東前筆頭位置迎えた7月場所では9勝6敗と勝ち越し、翌9月場所で西関脇昇進した。その9月場所では魁皇日馬富士琴欧洲という3大関を破る活躍で、11勝4敗と自身初となる三役での二桁勝利を挙げて2回目技能賞を獲得した東関脇となり、大関昇進への足固め注目された翌11月場所では5日目までは4勝1敗と順調な成績だったものの、6日目から7連敗して結果的に7勝8敗と負け越してしまい、東小結となった2011年1月場所でも6勝9敗と負け越して三役から陥落した2011年1月場所後に定年退職した清見潟親方(元前頭大竜川)に代わり年寄名跡清見潟取得した同年11月場所4日目安美錦戦でくるぶし付近痛め10日目若荒雄戦で悪化させてしまい、11日目から右足関節捻挫外側靭帯損傷)のために休場した2012年5月場所では、東前頭4目の位置9日目に早々に勝ち越し決め10日目旭天鵬11日目豊ノ島敗れたものの、12日目には単独優勝争い先頭を走る大関稀勢の里破り14日目には新大関鶴竜を破る活躍見せ千秋楽まで優勝争い絡んだ千秋楽では対戦相手琴欧洲休場したために不戦勝で、同じ3敗で並ぶ稀勢の里旭天鵬それぞれの本割勝敗を待つ形となり、その結果千秋楽勝利した旭天鵬との12勝3敗での史上初の平幕同士優勝決定戦となった優勝決定戦では旭天鵬敗れて優勝はならなかったが、2回目敢闘賞受賞2010年11月所以来となる関脇復帰した7月場所では4勝11敗という大敗終わったものの、翌9月場所では10日目白鵬破り自身初となる金星獲得し、9勝6敗と勝ち越し決めて初の殊勲賞を受賞11月場所では3大関に勝ち10勝。三役復帰した2013年1月場所でも3大関鶴竜稀勢の里琴奨菊)を破るなど8勝7敗と勝ち越し新関脇だった2010年9月所以来となる三役での勝ち越しを果たすと翌3月場所4大関(琴欧洲琴奨菊稀勢の里鶴竜)を総なめにする活躍10勝5敗と2010年9月所以来の三役での二桁勝利を挙げた7月場所でも3大関に勝ち10勝。栃煌山この年に、年6場所中5場所で三役務めるなど安定感増した一年となった小結迎えた2014年1月場所では11勝4敗の好成績収め3月場所では2場所ぶり関脇復帰した豪栄道琴欧洲両関脇も勝ち越していたため、2011年9月所以来の3関脇となった5月場所横綱鶴竜大関琴奨菊破り10勝5敗と新関脇だった2010年9月所以来となる関脇での二桁勝利を挙げた7月場所は場所前の稽古痛めた左肩に苦しめられ7日目まで2勝5敗と振るわず相撲協会に「反復性肩関節亜脱臼1カ月間の休養要する」との診断書提出して中日以降休場した東前頭8目まで後退した9月場所怪我影響ぶっつけ本番挑んだものの、千秋楽までの6連勝もあって11勝4敗と復調ぶりを見せた次の11月場所東前筆頭まで番付回復し、この場所では6日目まで1勝5敗と足踏みしたものの、そこから追い上げて千秋楽勝ち越し果たした栃煌山は場所を終えて「(今年は)けがのない場所がなかった。壊れない体にしたい」と2014年総括今後対す意気込み語っていた。翌2015年1月場所は小結復帰西小結)。その場所は千秋楽負け越し決定したが、大関琴奨菊横綱鶴竜破った東前1枚目で迎えた3月場所10勝を挙げ一場所で三役返り咲く。東小結として迎えた5月場所は8勝7敗と勝ち越し7月場所東関脇として10勝を挙げ殊勲賞を獲得その後関脇地位守っていたが、2016年1月場所で7勝8敗と負け越し平幕落ち危機となるも他の力士成績の関係上小結として3月場所迎えた。しかし3月場所大関以上に全敗喫するなど調子上がらず4勝に留まった。2016年7月場所では前頭筆頭土俵上がり3日目横綱鶴竜勝利し金星記録優勝争いをしていた綱取り稀勢の里を破るなど3大関倒し8勝7敗で三役復帰への勝ち越しとした。12月8日行われた冬巡業大牟田場所では稀勢の里三番稽古をして2勝8敗と圧倒される様子報じられた。2017年1月場所は足の故障影響もあり、3勝12敗と本来の姿からは程遠かった3月場所大阪入りする前は治療専念中国針を5cm以上も体内刺し「声が出るほど痛かったけど、やったあとは楽になった」としっかり戦える体になって所を迎えた。およそ6年ぶりの二桁番付となる東前10目まで番付落とした3月場所は、本来の調子ではないもの下位力士との地力違い見せつけ9日目にこの場所の平幕第一号となる勝ち越し果たした11日目時点10勝1敗と好調だったが、12日目に妙義龍敗れて優勝争いから後退すると、残り全て敗れて結局10勝5敗だった。因みにこの場所ではまわしを締め位置も、3cmほど高くした。「先場所までは腹がまわしの上乗って背中反って腰に負担があった」という。5月場所9日目の稀勢の里戦で金星獲得。「(稀勢の里は)けがはしていますが、本当に強い。そういう相手力の限り出して勝ったのは良かったし、満足」と金獲得についての感想取組後に述べている。稀勢の里終了時点で5勝4敗であったがこの取組以外では三役以上に勝てず、終盤失速して6勝9敗の負け越し7月場所その辺りの地位上がってくる星の力士が少なかったため、幸運に1枚半下降西前頭5目の地位踏みとどまった。その7月場所14日目に白鵬13勝目挙げて3敗であった自身優勝可能性無くなるまで優勝争い加わり最終的に12勝3敗の好成績技能候補に名前が挙げられたが、受賞はならなかった。8月20日大相撲秋巡業旭川場所では高安三番稽古13番行い、7勝6敗と勝ち越し1年ぶりの三役復帰可能性高かった状況で「そんなに時間もない。しっかりやらなければ」と栃煌山話した8月27日6月19日滋賀県大津市出身会社員女性婚姻届提出したことが分かった9月場所1年ぶりの三役となる西小結の地位迎えた。場所2日目11日長女誕生したが、この日を白星で飾ることはできなかった。初日からの4連敗が響く形となり、6勝9敗の負け越し終わった。。11月場所西前2枚目の地位迎えた初日からの上位陣との取組1つ勝てず、中日負け越し喫した9日目の荒鷲戦に勝って初日出し、4勝11敗で場所を終えた2018年1月場所は序盤から白星先行させたものの、11日目阿炎戦で左肩を負傷。「左大胸筋肉離れ全治1カ月」と診断され、翌12日目より休場した。場所成績は6勝6敗3休。翌3月場所1年ぶりに幕内二桁番付となったが、先場所の怪我影響から場所前に殆ど稽古出来ず関取衆との稽古は場所当日にようやくできるという状態であったことが伝えられた。序盤5日間は不戦勝もあって白星先行させたものの、調整不足は顕著であり6日目から失速結局5勝10敗と二桁負け越しとなった幕内二桁番付負け越すのは自身初めてとなる。5月場所東前15目まで番付落としたが、8勝7敗と5場所ぶりの勝ち越し7月場所前の稽古では、部屋大関である栃ノ心に対して5分の相撲を取るなど好調伝えられた。迎えた7月場所稽古場での好調そのまま序盤から星を伸ばし11日目終えた時点で9勝2敗と優勝次点位置に付けた。しかし12日目、13日目と連敗し優勝争いから脱落14日目にはここまで1敗の御嶽海と割が組まれたが、これに敗れて目の前で優勝決められることになった。それでも千秋楽小結玉鷲破っておよそ1年ぶりの二桁となる10勝を挙げた東前2枚目で迎えた11月場所は、初日からの5日間で1横綱、2大関、2関脇を破る快進撃見せて序盤戦における主役となった以降調子落として8勝7敗の成績に留まったものの、久しぶり幕内上位地位での勝ち越しと金獲得達成した2019年初場所3日目稀勢の里勝利し横綱から通算6個目の金星獲得。この敗戦稀勢の里は、横綱として単独ワーストの8連敗不戦敗を除く)となり翌日引退を表明最後対戦相手となった。しかし、この場所は13日目に正代押し出され負け越し決まり結局は6勝9敗に終わった。 場所後の2月11日には自身結婚披露宴東京都内開催師匠一門大関豪栄道出羽海一門親方衆などを始めとして約500人が披露宴出席結婚から1年8ヶ月経って披露宴は、2004年死去した夫人父の命日に行われた弟弟子栃ノ心からは記念品としてジョージア特産ワイン贈呈され歌手藤井フミヤヒット曲TRUE LOVE』などを熱唱した。挙式直後3月場所東前頭4目で迎えたが、初日白星の後8連敗早くも負け越し決まってしまう。その後も4連敗喫するなど絶不調で、3勝12敗と大敗喫した。翌5月場所西前11目に大きく番付下げたが、6勝4敗で迎えた11日目から5連敗。6勝9敗に終わった7月場所東前12目とした4半の地位で場所を通して波に乗れず、5勝10敗と大きく負け越し9月場所幕内には下に1枚しかない西前16目の地位土俵上がり、6勝5敗の12日目から4連敗。6勝9敗と負け越し。これにより、新入幕以来74場所守り抜いた幕内地位手放すこととなった11月場所は東十両2枚目で10勝5敗と1場所での幕内復帰確定させた。12月6日インフルエンザ感染により冬巡業離脱4日宿舎で同部屋だった碧山は「()煌山関はつらそうだった寝てるようで寝てない状態だったと思う。熱も40近く出ていたから」と心配した。このインフルエンザ栃煌山限らず協会10人がこの冬巡業感染確認されるなど流行している模様であった。約2週間後の18日両国国技館診療所行われる予定予防接種待たずして角界インフルエンザ渦に見舞われるとなった返り入幕2020年1月場所東前16目で迎え、この場所は中盤に星を稼いで9勝6敗と勝ち越し決めた翌春場所は西前10目で迎えるも、初日から10連敗するなどの不振で3勝12敗で取り終えた。翌7月場所番付十両下げていたが、場所前の7月15日現役引退した

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