大関を破って再挑戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 08:31 UTC 版)
関脇陥落となって迎えた2001年(平成13年)11月場所は公傷による全休が適用され、2002年(平成14年)1月場所は関脇の地位を維持、10勝以上を挙げれば大関に特例で復帰できたものの、怪我の回復が遅れたことで全休となった。公傷適用は怪我をした場所の次の場所に限定されているため、この場所の全休は全敗として換算され、同年3月場所は東前頭8枚目まで下がった。この場所では元大関の実力を見せて9勝6敗と5場所ぶりの勝ち越しを決めたがその後は平幕上位から中位に留まり二桁勝利を挙げて三役へ昇進しても負け越して即陥落するなど、かつての勢いは失われていた。さらに、2003年(平成15年)1月場所の横綱・貴乃花光司戦でのいわゆる「疑惑の判定」に巻き込まれ、その取組で右足を負傷するなど、不運を被った(後述)。 右肩の怪我で大関を陥落したが怪我の回復が遅れ庇っている内に今度は左肩も痛めたため、2004年7月場所前に突き押し相撲だけでなく四つ相撲も身に着けた事が功を奏するようになる。その場所では前場所までの不調を晴らすかのように初日から9連勝し12勝3敗と優勝次点の好成績を収めた。翌9月場所で関脇に復帰すると9勝6敗と大関昇進を決めた2000年(平成12年)3月場所以来4年ぶりの三役における勝ち越しを記録した。その後も三役に定着し、周囲からは大関復帰を期待する声が聞かれるようになった。大関再挑戦となるこの時まで時間を要したのは、途中で父親の病気治療のための長期入院(2004年9月場所後に死去)など心労に見舞われた事で、持ち直すのに時間がかかったという2005年3月場所は3大関に勝ったが5勝10敗と5場所ぶりに負け越し4場所連続で在位した関脇から陥落した。前頭4枚目で迎えた2005年(平成17年)11月場所は当時の3大関(魁皇博之、千代大海龍二、栃東大裕)全員に黒星を付けて10勝5敗と二桁勝利を挙げ、大関陥落後では初となる三賞(敢闘賞)を受賞した(元大関として貴ノ浪以来3年ぶり史上5人目の三賞受賞)。前頭筆頭で迎えた2006年(平成18年)1月場所においても前述の3大関(この場所では新大関に琴欧洲勝紀がいたが敗れた)を破って8勝7敗と勝ち越すなど、元大関としての意地を見せた。小結に復帰した同年3月場所においても3大関(琴欧洲、千代大海、栃東)を破って10勝を挙げ、同年5月場所では新大関・白鵬翔を含む4大関全員を倒し、千秋楽まで白鵬と優勝争いを演じた。優勝決定戦では突っ張りが白鵬の汗によって滑ったことで敗れ、初の幕内最高優勝こそ逃したものの前場所を上回る14勝1敗の好成績を挙げ、同年7月場所に大関復帰を賭けることとなった。
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