大関と角番
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 02:21 UTC 版)
五ツ嶋は1941年5月場所を7勝8敗で終え、途中休場した前場所に続いて、大関の地位で2場所連続の負け越しとなり、1942年1月場所で関脇へ陥落した。角番の大関が14日目の時点で7勝7敗となり、千秋楽に敗れて陥落した力士は五ツ嶋の他に栃ノ心剛史(2019年3月場所、角番は自身2度目)がいるが、最初の角番で関脇に陥落したのは2019年5月場所までに五ツ嶋のみである。五ツ嶋の陥落以降、栃ノ心の陥落までに千秋楽を7勝7敗で迎えた角番大関は13名(豪栄道豪太郎、照ノ富士春雄はそれぞれ2度)いるが、それまでの角番大関全員が千秋楽に勝利して角番を脱出、勝率は10割だった。 角番大関・栃ノ心は2019年3月場所千秋楽で敗れ、7勝8敗で負け越したことで関脇陥落が決まったが、対戦相手の関脇・貴景勝光信は10勝5敗として3場所三役で合計34勝となり、正に栃ノ心と入れ替わる形で2019年5月場所に大関昇進を果たした。 次の同年5月場所で、貴景勝は五ツ嶋と同様に新大関の場所を途中休場しており、関脇転落直後の栃ノ心は同場所14日目で10勝をあげ、大関特例復帰を果たしている(しかし栃ノ心は復活後、2019年7月・9月場所と2場所連続負越しで関脇再陥落となった)。 なお、新大関から2場所で陥落したケースは、2019年9月場所までに、五ツ嶋・武双山正士・貴景勝の3人がいる。そのうち武双山は、新大関の2000年5月場所を腰痛の悪化による怪我で初日から全休、同年7月場所も4勝11敗と負け越して関脇陥落したが、直後の同年9月場所千秋楽に10勝5敗の成績で、上述の栃ノ心同様1場所で大関特例復帰を成し遂げた。さらに貴景勝も、右膝関節内側側副じん帯損傷の怪我により、新大関の2019年5月場所(3勝4敗8休)、同年7月場所(全休)と2場所連続負越しで関脇陥落するも、同年9月場所12日目に10勝目を挙げて大関特例復帰(結果12勝3敗、優勝同点)を達成している。
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