外観・内装
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 22:35 UTC 版)
「マニラ・ライトレール1200形電車」の記事における「外観・内装」の解説
2車体連接式の車両を4両繋いだ4両編成を基本としており、全車両とも主電動機を有する電動車だが、先頭の2両は片側に運転台がある一方、中央の2両は運転台が設置されていない。車体の連接部は、近畿車輛がアメリカ各地へ納入した連接式電車に用いられた機構が採用され、貫通幌で繋がった2車体間は往来可能となっている。 高架軌道への重量負担を少なくするため、構体はステンレスによって作られ強度が保たれる一方、骨組にアルミニウム、室内パネルに軽量複合材を用い、骨自体の数も減らすなど軽量化が図られている。また、LRT1号線は車庫内に最小半径27 mという急曲線が存在するため、先頭・中間車双方とも車端部が絞り込まれている。そのため車両間に貫通路などは設置されておらず、車体間とは異なり行き来は不可能である。各車体には両側に2箇所づつ両開きの乗降扉が設置されている。先頭部は連結器が設置されておらず、車体下部にはアンチクライマーが備わっている。 塗装は従来の車両にも用いられている青色や黄色が引き続き使われ、無機質なステンレスの車体へのアクセントとして乗降扉が青色に塗られている他、運転台側に黄色の繊維強化プラスチック(FRP)製の装飾が施されている。また運転台部分は前面黒色となっており、従来車と大きく塗装パターンが変更されている。 内装はマニラの景観に合わせ濃淡グリーンで塗装され、座席はFRP製のロングシートとなっている。握り棒も含め、車内は人間工学に配慮した配置や寸法となっているのが特徴である。またバリアフリーに対応し、車椅子スペースが中間車の連接部分に1箇所設置されている。 側面図 連接面は貫通幌で繋がっており車体間の移動が可能である
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外観・内装
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/19 10:25 UTC 版)
外観については大きな変化はなく、3521形後期車から改造された車両は前面の雨樋が埋め込まれているほか、車体断面や冷房装置取り付け高さも7801形および3521形前期車から改造された車両と異なっている。種車が奇数・偶数で向きが異なっていたため、中間車の3001形は奇数車・偶数車で戸袋の位置が逆になっている。 内装は荷物棚が網棚からパイプ製のものに交換されたほか、化粧板も従来の青系から7001・7101形以降で採用された緑系の格子柄に変更された。1987年改造の3107F以降6編成の内装は、8000系と同じベージュ系の化粧板に更新された。3111Fと3112Fは化粧板を客室のみベージュ系に更新し、乗務員室は従来の緑系のまま存置された。
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外観・内装
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 03:26 UTC 版)
ロイヤルブラック一色に塗装されている。キハ40系気動車の暖地型の改造であるため、デッキはなく、ほかの近郊形気動車同様に、窓は開閉可能である。内装は難燃木材を使用していて暖かみのある内装となっている。のちに追加で改造されたキハ47 8092の内装は、登場時から運用されている車両に比べ明るい材質を使用している。 車内は、既存の座席をすべて撤去しフリーストップ式のリクライニングシートを設置。トイレの新設、エアコンの変更(独立型のバス用クーラーから、屋上集中型への変更)なども行われている。コモンスペースとして車両中央に展望席を設置している。(「いさぶろう・しんぺい」にも、同様の設備を持つ車両がある。) 1号車にはサービスコーナーもあり、オリジナル記念品や沿線の名産品などが車内で販売されている。またこの特急列車の誕生を記念して発売開始された駅弁「百年の旅物語かれい川」も販売されている。 キハ147 1045 車内 キハ47 8092 車内 キハ147 1045 展望席 キハ47 8092 展望席 一般座席 キハ47 8092トイレ付近 車体中央部の拡大された窓
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外観・内装
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/28 19:07 UTC 版)
いりなか店 1号店の「いりなか店」は、中華料理店を改装して作られた。入り口ドアには英国兵士のカッティングシート、入り口両脇に西洋甲冑や大砲のレプリカがディスプレイされ、内装は板張りの床、レンガの間仕切り、空の天井壁紙、及び随所に鏡張りで、店内に窓はない。 西洋甲冑や大砲は株式会社大砲観光の社長の趣味である。 いりなか店は後に隣のビルの2階(3階?)に移転し、規模を縮小した。 店内は1階部分と、奥に続く半地下の2層になっており、トイレは最奥部にある。他の店にはなかなか見られないシックな店内装飾と、ディスプレイされたレトロな置物が特徴的だった。 いりなか店(初期店舗) バブル期前後の名古屋3大(店舗の大きさという意味でなく)ゲームセンターの一つ。 名駅裏イエローハット・星が丘キャロット・いりなか最前線 すぐ隣に「I・Cマッハ」というゲームセンターが以前より存在し、競合関係にあったが、ビデオゲームブームが到来していた当時、学生街にゲームセンターが2店舗が並ぶという立地は人気を呼び、多くのゲームファンや学生が集まった。最盛期は店内に人があふれ、エアコンが効かなくなるほどであった。 「いりなか店」開店後まもなく、店舗を拠点としたゲームサークルが発足し、同じ頃「ゲーメスト」も創刊された。サークルの勧めでキャノン最前線はハイスコア掲載店となった。 ゲームサークルはこの店舗を全国的に有名にしたが、一方でワンコインで延々粘るゲームプレイから営業の邪魔になることもあった。 初期の店番を任されていた初老の社員は、ゲーム中に大声で客に話しかけてくる。その結果、集中力を殺がれよくゲームオーバーになったり、メーカーから新しいゲームの情報をうるさい店内にある電話で聞くため、ゲーム名を間違って告知するなど、名物的な存在であった。 キャノン最前線のゲーム料金は基本的に50円であった。(例外あり) キャノン最前線のゲーム機は、基本的に全てリース機だった。(例外あり) 初期のいりなか店の主電源は、家主である隣のI・Cマッハ店内にあり、客が最前線に多く集まる時間帯になると、不思議なことによく電源が落ちた。原因は謎である。 この頃のキャノン最前線に郷愁を感じ、時期を見て店舗を再現しようと考えている者もいる。 (設置されていた特筆すべきゲーム機など) LDゲーム…忍者ハヤテ・タイムギャル・宇宙戦艦ヤマト エレメカ …ワギャン・功夫老師 専用筐体 …ワイバーンF-0・ガントレット・ダライアス・フルスロットル・ミッドナイトランディング・トップランディング 自販機 …50円の紙コップ自販機・ハンバーガー自販機 いりなか店(後期店舗) 1990年4月に大人の事情により、すぐ隣のビルに移転することになった。 このビルは半地下があり、その上にラーメン屋(めんや)、その上にあった大砲観光の事務所を改装したのが移転後の店舗である。つまり実質3階なのだが、半地下があるため表現しづらい。 移転前と比べて店舗面積が狭まった上、狭い階段があることから大型の筐体を導入できなくなった。その結果、テーブル及びアップライト筐体だけの店舗となった。 1994年頃閉店となった。同時期に100メートルほど離れた場所にゲームセンター「オレンジペコ」が開店。名古屋の新たな大ゲームセンターとなる。 御器所店 元焼肉店を改装して、御器所交差点近くに作られた。 初期のいりなか店に比べて小さな店舗だった。 店舗の看板は「究極タイガー」をモチーフに描かれた、攻撃ヘリの絵が特徴的だった。 岡崎店 詳細は不明だが、開店してすぐにボヤを出した。
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