嘘・冗談・悪ふざけ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 21:35 UTC 版)
「Jam (自販機本)」の記事における「嘘・冗談・悪ふざけ」の解説
『Jam』『HEAVEN』の誌面には「架空の本の書評」「架空の企業の広告」「架空のヒットチャート」「架空のインタビュー」「架空のバンド紹介」「架空の学術論文」「なりすましの読者投稿」「嘘の次号予告」など虚実ないまぜに面白おかしく書かれたジョーク、パロディ、ガセネタ、フェイクが多数掲載されており、コンセプトそのものは実際にありそうで実は存在しないガセネタをニュースとして掲載しているウェブサイト『虚構新聞』のスタイルと通ずるものがある。 本誌に掲載された具体的な虚構記事の例としては『X-MAGAZINE』6号の「ヒデヨシ鏡は狂気の今日・カタストロフィ理論に於けるヒデヨシ効果の特異点」や『Jam』7号の「名物爆弾企画『音』で橋を壊せる!!」などの意味不明な学術論文、『HEAVEN』創刊号の白紙のページ、「天才少女ナオへの独占インタビュー」、「早大文化新聞/東北人は全人民の前に土下座せよ」などの冗談企画が挙げられる。 初代編集長の高杉弾はこれら禅的でシュールな虚構記事を誌面で展開した理由について 実在しないレコードの紹介というのにはすごく興味があって、前にずいぶん書いたことがあるけど、載せてくれる雑誌がなかった。実在しない本の書評というのも同じで、しかたがないので自分が編集している雑誌に載せたら、どこで手に入るんですか、なんて問合せが来た(笑) — 高杉弾『メディアになりたい』JICC出版局、1984年9月、p.218-221「音楽と私」 実話誌として『X-magazine』はいろいろと遊んだわけ。例えば、書評のページ。全部架空の本でね、その紹介が。実在しない本の紹介っていうのは、すごく最初からあったアイディアで、いまだにやりたい気が残ってる。スタニスワフ・レムとか、ボルヘスがやってるでしょ、たしか。やってる時は知らなかったけど。そういう細かいアイディアはたくさんあって、架空のヒット・チャートとかさ。それからケネス・アンガーの紹介とかもやった。そういう前から持ってたアイディアをどんどん入れてやったわけ。基本的に嘘のつけるメディアだということもどんどん利用した。ちょっとなんていうのかな、儲かってる業界ってさ、自由がきくでしょう。何やっても文句言われないんだよね。それで図に乗って毎月出しまくった。結局『Jam』は十何冊か出たね。上いくとあんまり嘘つけないでしょ。 — 高杉弾『週刊本38 霊的衝動 100万人のポルノ』(朝日出版社)第1章「印刷ポルノの黄金時代」の中「『Jam』をつくっていた頃の話」 と解説している。実際、架空の本を書評するというアイデアは、ホルヘ・ルイス・ボルヘスによる『ハーバート・クエインの作品の検討』(1944年)やスタニスワフ・レムによる『完全な真空』(1971年)などに先例が見られるように、決して本誌独自のものではないが、それを雑誌の書評コーナーの体裁を借りて行ったという点では極めて先駆的な事例であった。なお『HEAVEN』の編集に携わっていた精神科医の香山リカは医大生時代に「嘘の医学記事」を同誌に執筆していたことを後に打ち明けており、これについて香山は著書『ポケットは80年代がいっぱい』の中で 私は“ある島でだけ流行した謎の伝染病”の話を書いたが、もっともらしくウィルスの解説などもしながら、それはまったくのでっち上げだった。“医学生がでっち上げ医学記事”というのは今でなら社会問題にもなるかもしれないが、当時の私は、そのあたりの倫理観が完全に麻痺していた。言い訳めいて聞こえるかもしれないが、そもそも私は『遊』のパロディ記事の完成度やバカバカしさに衝撃を受けたのがきっかけで、春美と仕事をすることになったのだ。ウソを本当っぽく書いたり事実を茶化したりすることは、私にとっての仕事の原点であったわけだ。いちばん楽しかったのは、なんといっても医学生という立場を悪用した“医学のウソ”だった。 — 香山リカ『ポケットは80年代がいっぱい』バジリコ、2008年2月、p.141-142 と弁解している。ちなみに雑誌全体のブレーンであった美沢真之助(隅田川乱一)は『HEAVEN』に寄稿した、奴隷と主人の社会的地位の転倒と馬鹿騒ぎを特徴とする古代ローマの農神祭「サトゥルナリア」にまつわるエッセイで「嘘の持つ役割と可能性」について次のように述べている。 「四月バカ(エイプリル・フール)」は「ALL FOOLS DAY」ともいわれるように、本来的には、すべての者がバカげたふるまいを行なう日であって、個人が恋意的に嘘をついて、それが大目に見てもらえるといった、暖昧な事柄ではなかった。この風習の基盤は、通常の秩序が引っくり返ってしまう古代の農耕儀礼的な躁宴(オルギア)にある。中でも、イタリアの、農耕と律法の神「サトゥルヌス」の祭である「サトゥルナリア」とは深い関係を持っている。この祭では、主人と奴隷の地位が転倒し、クジ引きで、サトゥルヌスに扮するニセの王が選ばれ、この王は、めちゃくちゃな命令か法令を公布した。社会を全的にまき込むバカ騒ぎを行なうには、このような、浴なる世界の拘束力を無化する仕掛けが必要である。 この仕掛けを生み出した衝動は、キリスト教が支配的になった後も生き延び、「愚者祭」として、教会内部にすら浸透していった。サトゥルナリアと同様に、この祭りでも教会内の階級が逆転し、副助祭(教会の下級職員)たちは、キリスト教の聖性を失わしめるふざけた説教やパロディを行った。 (中略)古代の農耕儀礼には、たしかに暗いものが内在しているが、人間が原罪として持っている黒い衝動に対して〈白〉で対応するのではなく〈黒〉で対応する知恵を、そこに見出すことができないだろうか? 日常生活を脅かす〈白に対する黒〉に対しては、〈白黒〉の世界の秩序を特異的に転倒させることによってそれを克服するというやり方は、古代人の間では常識であったし、これは対社会の関係だけにとどまらず、意識を発達させる、内的な、霊性の訓練としても行なわれた。 サトゥルナリアの儀礼は、イスラムのスーフィーたちに、発達的に継承された。霊性の発達に関する共同体の重要性を認識していたスーフィーたちは、月に一度、「嘘つきの日」を設けたのである。この日には、嘘をつくことが許されているのではなく、修業として、一日中嘘をつくことが強制された。「正直であれ」という倫理的な名分は、何が正直であるのかに関する個的な妄想によってすぐさま歪められてしまい、人々はこの個的な妄想のパターンについては無自覚である。だから、よき意図を持っても、肉体が意識が変化しないかぎり、その意図は実現されない。ところが、意識的に嘘をつくことによって、無意識に語っていた嘘が露呈して、自己の隠された心理的なパターンを自覚することができるのである。 スーフィーの「嘘つきの日」にこめられた秘教的な行為を、日常的な生活の中で体験したいのなら、「冗談」を観察するのがいちばんいい方法である。冗談の大半は内的な感情の表現である。人々は、冗談で本当のことを喋っている。 — 『HEAVEN』第12号(所収『ロック・マガジン』47号/1982年9月発行)「THE X-BOY'S EXPRESS NO.25」
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