主な派生型
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「Su-9 (航空機)」の記事における「主な派生型」の解説
Su-9(Су-9スー・ヂェーヴャチ):迎撃戦闘機型の基本型。1957年に初飛行。 Su-9 Su-9B(Су-9Бスー・ヂェーヴャチ・ベー):戦闘爆撃機型。 Su-9U(Су-9Уスー・ヂェーヴャチ・ウー):複座教育訓練機型。NATOは「メイデン」(Maiden)というコードネームを付与した。 Su-9RM(Су-9РМスー・ヂェーヴャチ・エール・エーム):標的機として改修されたSu-9。 Su-11(Су-11スー・アヂーンナッツァチ):迎撃戦闘機型の発展型。1958年に初飛行。 Su-11(量産機) Su-15(Су-15スー・ピトナーッツァチ):迎撃戦闘機型の発展型。1963年に初飛行。 ミンスク上空を飛行するSu-15TM T-3(Т-3テー・トリー):Su-9/11/15の試作機。デルタ翼が共通の特徴である。アルマース3・レーダー・ステーションを搭載した最初の機体を、NATOは「フィッシュポットA」(Fishpot-A)として認識したが、多数製造された他の機体に関してはコードネームは付与されなかった。 T-3(アルマース3搭載型) T-5(Т-5テー・ピャーチ):Su-9の双発化の試作機となった機体。横幅を拡張された後部胴体にR-11F-300(Р-11Ф-300)エンジン2基を搭載した。研究成果はSu-15の開発に生かされた。 T-5 レターユシチャヤ・ラボラトーリヤ(Летающая лабораторияリターユシャヤ・ラバラトーリヤ):「空飛ぶ研究所」という意味の名称を持つ研究機がされた。略称はLL(ЛЛエール・エール)である。このうちのある機体ではカナード翼の試験が行われたが、その取り付け方法は上下に1枚ずつあるいは下面に1枚のみという変わったものであった。 PT-7(ПТ-7ペーテー・スィェーミ):T-3から開発されたアルマース・レーダー・ステーションを搭載する試作型のひとつ。K-7またはK-6ミサイルを搭載する機体として開発されたが、このミサイルの不成功により機体の開発も終了した。なお、名称は搭載ミサイル名に由来するものである。 PT-8(ПТ-8ペーテー・ヴォースィェミ):T-3から開発されたアルマース・レーダー・ステーションを搭載する試作型のひとつ。PT-8-4はK-7ミサイルを搭載する機体として開発されたが、このミサイルの不成功により機体の開発も終了したが、機体はT-47のもととなった。なお、PT-8-4に平行して開発されたPT-8-5はT-47と改称された。なお、名称は搭載ミサイル名に由来するものである。 PT-95(ПТ-95ペーテー・ヂヴィノースタ・ピャーチ):PT-8をもとにAL-7F-1エンジンの試験用に開発された「空飛ぶ研究所」。この機体でAL-7F-1エンジンの搭載試験はいちおうの完成を見た。 「製品100L-1」(«Изделие 100Л-1»イズヂェーリイェ・ストー・エール・アヂーン):「空飛ぶ研究所」のひとつ。Su-9をもとに製作され、新しい翼型を試験された。 100L L-43(Л-43エール・エール):「空飛ぶ研究所」のひとつ。Su-9UをもとにT-4ソートカ爆撃機の開発のために製作された研究機。「製品94」(«Изделие 94»イズヂェーリイェ・ヂヴィノースタ・チトィーリェ)とも呼ばれた。 T-3-8M(Т-3-Мテー・トリー・エーム):Su-11のもととなった試作機。オリョール・レーダー・ステーションとK-8Mミサイルを搭載し、エンジンはAL-7F-1の単発であった。 T-37(Т-37テー・トリーッツァチ・スィェーミ):T-3の派生型として設計された試作迎撃戦闘機で、当初はT-3A(Т-3Аテー・トリー・アー)と呼ばれた。K-9-51(R-38)ミサイル2発を搭載し7600 kg/sのR-15-300ターボジェットエンジンで3000 km/hの最高速度を発揮することを計画していた。ミグ設計局のマッハ 3級試作迎撃戦闘機Ye-150に勝る性能を持つ機体となるはずであったが、実際に製作はされなかった。 T-43(Т-43テー・ソーラク・トリー):T-3から製作された研究機。多数製作された。1960年5月には、T-43-5が100 kmコースにおける2032 km/hの世界速度記録を達成している。1962年9月4日には、AL-7F-2エンジンを搭載したT-43-1が21270 mの高度記録を達成した。3週間後、この機体は500 kmの閉鎖コースにおける平均速度 2337 km/hという速度記録を達成した。T-43-3、T-43-4、T-43-5、T-43-8では、ミサイルと自動赤外線照準装置(ТГС、Тепловая головка самонаведения)の試験が行われた。K-7ミサイル装備仕様のPT-8をK-5M装備仕様に改修したT-43-6は1959年7月20日に墜落し、パイロットが死亡した。T-43-7とT-43-10は、自動操縦装置AP-29Zh1(АП-28Ж1)の研究に使用されたが、T-43-10は1960年に墜落事故で失われた。そのほか、いわゆる「ドッグスーツ」(犬歯)または「歯」(ズープ;«зуб»)と呼ばれる先端の鋭い張り出しを設けた形状の主翼をもつ機体も試験された。 T-43-12 U-43(У-43ウー・ソーラク・トリー):T-43から製作された複座練習戦闘機型の試作機。Su-9Uとして量産化された。 U-43-1 T-47(Т-47テー・ソーラク・スィェーミ):Su-11のもととなった試作機シリーズ。当初の名称はPT-8-5。開発中止となったPT-8シリーズの機体研究成果が生かされ、それと同様の機体を持っていた。オリョール・レーダー・ステーションとK-8Mミサイルを搭載し、エンジンはAL-7F-1の単発であった。 T-47-5 T-49(Т-49テー・ソーラク・ヂェーヴャチ):試作戦闘機。より大型で高性能のレーダー・ステーションを搭載するために機首容積を増加させる目的で開発された。従来の円筒形方式の機首が改められ、空気取り入れ口が機首両側面下寄りに設けられていた。これは、のちに量産化されたSu-15の機体両脇に空気取り入れ口を設ける方式とも異なる独自のものであった。1959年末から1960年初旬にかけて若干の飛行試験が行われたが、エンジンの不調により開発は失敗に終わった。 T-49 T-58D(Т-58Дテー・ピヂスャート・ヴォースィェミ・デー):Su-15のもととなった試作機。T-37、T-49、T-5などの研究成果を取り入れ製作された。改良型のオリョール-D-58(Орел-Д-58)レーダー・ステーションとK-98(К-98)空対空ミサイルが搭載された。
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主な派生型
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M48 最初期型。国章の刻印された完全機械加工の鋼鉄部品を使用していた。1950年 - 1952年製造。 M48A 一部の部品を板金プレス加工で成形することで生産効率の向上を図っている。1952年 - 1956年製造。 M48B より多くの部品をプレス加工に転換した。1956年以降、M48小銃はもっぱら輸出用製品として製造されていくことになる。1956年 - 1965年製造。 M48BO 「BO」は「刻印無し」(bez oznake)を意味する。ほぼM48Bと同型だが、国章などの刻印は全て省略されていた。1956年 - 1965年製造。 M48/63 2011年にザスタバ・アームズが発表したスポーツライフル。M48を短銃身化したもの。
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「MiG-25 (航空機)」の記事における「主な派生型」の解説
MiG-25P(МиГ-25П) 最初の量産型。機首にパルス・ドップラー式のRP-25スメルシュ(NATOコードネーム フォックスファイヤ)捜索/追跡レーダーを装備しており、最大探知距離は80kmである。兵装にはR-40(AA-6 アクリッド)ミサイルを赤外線誘導型とレーダ誘導型を各2発搭載するが、機関砲は搭載されていない。なお、戦闘機型は偵察機型よりもわずかに翼幅が長い(ゆえに、翼端が、偵察機型より延長されており、先細りになっている(翼端の翼弦長が短い)ので、見分けがつく)。また、主翼下の4基のパイロンは主翼の捻り剛性も担っている。NATOコードネームはフォックスバットA MiG-25PD(МиГ-25ПД) ベレンコ中尉のもたらした機体は迎撃戦闘機型の MiG-25Pであったため、亡命事件を受けてソ連ではこの機体のシステム変更の必要に迫られた。ソ連にとっては、MiG-25P が捕獲されたことによって自国の防空システム全体が露見してしまう可能性が最大の関心事であった。このため、防空システム全体の見直しが必要となり、搭載機材を変更して1978年に完成したのが本機である。機首のレーダーはそれまでのスメルシュから変更され、MiG-23ML の搭載レーダーを改良したRP-25サプフィール(NATOコードネーム ハイラーク)レーダーに換装された。このレーダーはルックダウン・シュートダウン能力を持ち、複数の目標指示能力などが追加されている。その他にも電子装備も変更され、機首下面にはこれもMiG-23MLから流用した赤外線追跡装置を装備した。以降はこの機体が配備されていった(MiG-25PDにも数シリーズあり、初期のものは外見上MiG-25Pに似ている)。既に配備されていたMiG-25PもPD規格のMiG-25PDS (МиГ-25ПДС)に改修された。また、MiG-25Pを代替する迎撃戦闘機として本来は前線戦闘機であったMiG-23も防空システムに組み込まれることとなり、MiG-25PD 同様の機材を搭載した迎撃戦闘機型MiG-23Pが製造された。結果、長射程ミサイルを使用できるMiG-25PDと中射程ミサイルを使用するMiG-23Pが並行して防空軍へ配備されることとなった。また、一部のシステムや装備を簡略化して輸出型としたのがMiG-25PDFと呼ばれており、兵装には、R-60(AA-8 エイフィド)ミサイルが加えられている。NATOコードネームはフォックスバットE MiG-25R(МиГ-25Р) 高々度偵察型。NATOコードネームはフォックスバットB MiG-25RB(МиГ-25ЛБ) MiG-25Rに爆撃能力を加えた偵察爆撃型。NATOコードネームはフォックスバットB MiG-25BM(МиГ-25БМ) 偵察型のMiG-25RBから発展した敵防空網制圧(SEAD)型、1972年に開発が開始され、1982年に量産が開始された。偵察器材に代えてECM器材を搭載しており、それにより機首部が720mm延びている。対レーダー電波システム「ヤグアール」により、これにより対レーダーミサイルのKh-58Uを運用できた。Kh-58Uは最大で4発を搭載できる。NATOコードネームはフォックスバットF MiG-25RBV/RBT(МиГ-25РБВ/РБТ) SRS-9ELINT(電子情報)器材と側視レーダーを搭載した、戦術偵察爆撃機(写真偵察機)型と戦術電波偵察機型。NATOコードネームはフォックスバットBMiG-25RBVDZ MiG-25RBVを改造した空中給油試験のための性能評価機体。DZは「空中給油」の略称。機首にプローブを備える。MiG-25の量産型に空中給油機能は付加されていない。この機能は後継のMiG-31に活かされている。 MiG-25RBK(МиГ-25РБК) 偵察カメラを搭載していない電子偵察型。NATOコードネームはフォックスバットD MiG-25RBS(МиГ-25РБС) MiG-25RBKに側視レーダーを搭載した電子偵察型。NATOコードネームはフォックスバットD MiG-25RBSh(МиГ-25РБШ) MiG-25RBSのシステムをアップグレードした電子偵察型。NATOコードネームはフォックスバットD MiG-25PU/RU(МиГ-25ПУ/РУ) 操縦席の前に新たに操縦席を一段低い位置に設置した複座練習機型。PUは戦闘機用として使用され、RUは偵察機用として使用される。NATOコードネームはフォックスバットC
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