亡命事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 23:30 UTC 版)
板門店では過去数回に渡り亡命が行われている。 1964年、韓国人観光客が北朝鮮に亡命する事件が発生している。 1984年11月23日、北朝鮮の板門店観光ツアーに訪れていたソ連人大学生が軍事境界線を越えて南(韓国)に侵入した。この大学生を追った北朝鮮兵が軍事境界線を越えたため、国連軍が攻撃し両者は衝突、韓国兵1名と北朝鮮兵3名が死亡した。最終的にこの大学生はアメリカへ亡命した。 1998年2月に板門店の警備に当たっていた北朝鮮軍の大尉が韓国側に亡命しており、2007年9月にも北の軍人が南側に亡命している。 2017年11月13日、1名の朝鮮人民軍兵士が四輪駆動の小型軍用車両で共同警備区域に入り込み、軍事境界線を越えて韓国側に亡命しようとしたが、排水溝に嵌り脱輪したため、その後に車両を捨て軍事境界線を越えて逃げ込み亡命した。その際に警備にあたっていた北朝鮮兵から銃撃を受けて負傷し、銃弾の一部が韓国側に到達した。亡命した兵士は板門店の軍事境界線から南側に約50mの地点で倒れこんでいるのを韓国側に発見された。その後、韓国兵が救助に当たり、国連軍のヘリコプターで韓国の病院に搬送され、一命を取り留めている。これを受け北朝鮮は、当時警備に当たっていた兵士達を責任者も含めて交代させ、北朝鮮側の非武装地帯と共同警備区域の間に掛かる「72時間橋」を閉鎖して、鍵が掛かる門の設置をするとともに、数人の要員が深さ1m以上の溝を軍事境界線の北朝鮮側に掘った。逃走を防ぐための対策とされている。
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