琉球人清国亡命事件の一覧とは? わかりやすく解説

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琉球人清国亡命事件の一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/20 04:34 UTC 版)

脱清人」の記事における「琉球人清国亡命事件の一覧」の解説

時間清国元号日本の元号代表人物人数備注1874年 同治13年 明治7年 毛精長・国親雲上盛乗 不詳 国頭最後進貢使として来清し琉球滅亡後帰国せず、死後福州葬られる 1876年 光緒2年 明治9年 向徳宏幸地親方朝常蔡大鼎・伊計親雲上林世功名城里之子親雲上 19清国に赴き朝貢について交渉 1879年 光緒5年 明治12年 蔡氏湖城以正氏神山庸忠 13湖城以正空手達人であった神山庸忠は親清派の神山庸栄の子 1880年 光緒6年 明治13年 向氏富名腰朝衛 2人 山奉行筆者位階は「親雲上」、時に49歳であった 1882年 光緒8年 明治15年 毛鳳来富川親方盛奎王大業国場親雲上 2人 富川最後三司官一人 蔡氏湖城以恭 3人 真壁名 馬必達国頭親雲上 3人 1883年 光緒9年 明治16年有徳浦添親方朝忠 42按司奉行当時37歳 1884年 光緒10年 明治17年 仲本進輝 5人 向氏宜野座朝義 6人 毛有慶亀川里之子親雲上盛棟 4人 毛有慶翌年帰国し祖父の毛允良・亀川親方盛武と一緒に沖縄警察逮捕される 1885年 光緒11年 明治18年龍光津嘉山親方朝助向廷選・津嘉山朝克 2人 親清派の首領亀川盛棟のために捕らえられ清国亡命 1892年 光緒18年 明治25年 毛有慶・亀川里之子親雲上盛棟 親清派の首領政治亡命清国福州客死 1896年 光緒22年 明治29年 向志礼義村按司朝明 5人 義村御殿三世。親清派の首領甲午戦争での清国敗戦により清国亡命福州客死

※この「琉球人清国亡命事件の一覧」の解説は、「脱清人」の解説の一部です。
「琉球人清国亡命事件の一覧」を含む「脱清人」の記事については、「脱清人」の概要を参照ください。

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