琉球人大虐殺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/16 06:56 UTC 版)
仲村覚によると、2010年11月8日の「環球時報」で、唐淳風が中国で下記のような「琉球人大虐殺」に関するプロパガンダを流しているとしている。。 1945年4月、ポツダム宣言、カイロ宣言により、日本政府は占領していた領土をどうしても放棄しなければならないことを知り、現地の駐屯軍に玉砕令を下達し、琉球人を皆殺しにした。不完全な統計によると、米軍が琉球を占領する前、日本軍は二十六万人以上の琉球人を虐殺していたが、その規模は南京大虐殺に匹敵するものであった。 「悲憤琉球」では琉球人大虐殺について、下記のように述べた。 アメリカの琉球解放があと数か月遅れたら琉球人は全員日本軍によって殺されたかもしれない。あれは玉砕ではなく南京大虐殺と同じ大虐殺です。もともと、中国で残忍に人を殺してきた第32軍陸軍師団が沖縄に移り、琉球人を『琉奴』と呼び何の容赦もなく殺したのです。
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