亡命作家とは? わかりやすく解説

亡命作家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/06 16:11 UTC 版)

ムハンマド・ディブ」の記事における「亡命作家」の解説

最初南部アルプ=マリティーム県ムージャンのベリサン家に滞在したフランスではすでにディブ独立のために闘うアルジェリア良心代表する作家という評価確立していたため、アラゴンはじめとして多く左派知識人支持を得ることができた。アンドレ・マルローディブについて、「アフリカ作家のなかで最も大きな影響を及ぼす可能性がある」と予見した。ムージャン滞在中に初め東欧諸国訪れ小説アフリカの夏』と『誰が海を覚えているか』、最初詩集守護亡霊』を発表した。「アルジェリアの夏」ではなくアフリカの夏』と題した小説は、植民者所有する土地生まれ飢え寒さ苦しみながら生まれた土地生きることできない、被植民者であるすべてのアフリカ人にとって「より人間的な世界」が誕生するようにという願い込めた作品である。小説誰が海を覚えているか』は、ディブ作風転換期する作品であり、植民地主義問題扱いながらも、これまでのように(あるいは他のアルジェリア作家第一世代のように)写実的な描写ではなく植民地体制の崩壊暗示する幻想的な作品であり、これ以後ディブ作品は亡命作家として言語問題、意味の探求中心に思索的形而上学的象徴主義的、ときには難解とされる作品書くことになる。詩集守護亡霊』もアルジェリアでの著作活動一線を画すものであり、序文書いたアラゴンは、「私の窓の木々、私の川辺の川、我々の大聖堂の石とは何の関係もない国」から来たディブが、(フランス中世の大詩人フランソワ・ヴィヨンや(社会主義、そしてカトリック詩人シャルル・ペギー言葉語った評した1964年パリ近郊ムードンオー=ド=セーヌ県)に越ししばらくしてラ・セル=サン=クルーイヴリーヌ県)に居を構えたディブ1990年代に再びアルジェリア舞台にする『迂回路のない(率直に語る)沙漠』、『野生の夜』、『悪魔御心適うなら』などの小説や、写真家フィリップ・ボルダス(フランス語版)が撮った故郷トレムセン写真語り付けたトレムセンもしくはエクリチュールの場』を発表することになるが、短期滞在除いて再びアルジェリア帰ることはなかった。 1970年からロシア東欧北欧諸国など世界各地訪れ1974年渡米しカリフォルニア大学ロサンゼルス校UCLA)で教鞭を執った。 1975年ラハティフィンランド)で開催され作家会議詩人ウジェーヌ・ギュヴィック(フランス語版とともに招かれたのを機にフィンランド詩の翻訳家として活躍フィンランドにたびたび滞在しながら、1985年から1990年にかけて同地舞台とした北欧三部作オルソル大地』、『イヴの眠り』、『大理石』を発表したディブは詩、小説のほか、随筆戯曲児童文学作品を含む30冊以上の著書発表しフランス語圏大賞はじめとするアカデミー・フランセーズ文学賞マラルメ賞など多く文学賞受賞した(以下参照)。 2003年5月2日イヴリーヌ県ラ・セル=サン=クルーにて死去享年82歳。ラ・セル=サン=クルー墓地に眠る。

※この「亡命作家」の解説は、「ムハンマド・ディブ」の解説の一部です。
「亡命作家」を含む「ムハンマド・ディブ」の記事については、「ムハンマド・ディブ」の概要を参照ください。

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