フランサフリック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 16:53 UTC 版)
現代の新植民地主義を定義する上で用いられる古典的な例として、フランスと同国の旧アフリカ植民地の指導者との間に緊密な関係が続いている状態を指すフランサフリックが挙げられる。これは、コートジボワールのフェリックス・ウフェ=ボワニ大統領がフランスとアフリカとの良好な関係を示すために用いたのが最初で、当時は肯定的な意味を持っていたが、次第に双方の非対称的な関係を批判する文脈で使われるようになった。特に、1960年からシャルル・ド・ゴール及びジョルジュ・ポンピドゥー両大統領の下でアフリカ問題担当相を務めたジャック・フォカールが、フランサフリックの代表的人物と言われる。この言葉はフランソワ=グザヴィエ・ヴェルシャヴ (en:François-Xavier Verschave) の造語であり、アフリカにおけるフランスの政策を批判した著書の題名 (La Françafrique : Le plus long scandale de la République) として使われた。フォカールの組織網(レゾー、Réseau)は、訳者が補足するところによると、ジャック・シラク大統領に引き継がれている。 1972年にはカメルーンの亡命作家であるモンゴ・ベティが、近年のカメルーンにおける歴史を批判的に綴った『カメルーンを覆う残酷な手-脱植民地化の死体解剖』(Cruel hand on Cameroon, autopsy of a decolonization)を発表。本書では、カメルーンを含む植民地が未だ名実共にフランスの支配下にあり、独立以後の政治的エリートもこの永続的な従属状態を擁護してきたことを明らかにした。 ヴェルシャヴやベティらは、かつてのアフリカ植民地の国々との、独立後40年にわたる関係を指摘している。すなわち、フランス軍が旧植民地に戦力を保持し(それはしばしば反乱を鎮圧するため親仏的なアフリカ人指導者によって用いられた)、フランス企業は同地での投資の独占権を保持した(通常それは天然資源の採取という形をとった)、という指摘である。アフリカにおけるフランス軍は、旧植民地国自身の利益でなくフランスの利益に適う政権になるよう、しばしばクーデターに関与した。このような新植民地政策に対し、論者は政治利害のグローバル化する危険を指摘している。 冷戦期においてフランスと近しい関係にあった指導者は、同国の手先として批判にさらされた。そのうち最も批判の槍玉に挙げられた人物としては、ガボンのオマル・ボンゴ元大統領、コートジボワールのフェリックス・ウフェ=ボワニ大統領やトーゴのニャシンベ・エヤデマ元大統領、コンゴ共和国のドニ・サスヌゲソ、チャドのイドリス・デビ大統領、そしてニジェールのアマニ・ディオリ元大統領らがいる。彼らは後退し、代わりにエルフ・アキテーヌなどの多国籍企業と結びついた組織網が搾取をするようになった。
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