フランコ時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 07:32 UTC 版)
フランコ政権によるバスク地方への武力弾圧に対する抵抗運動として、1959年7月31日にバスク民族主義党から分離した若手の民族主義者たちによって設立された。この当時は、バスク語を禁ずるなどの圧政に対する一般市民の反感もあって、ETAは共感を得ていた。 1968年に、ETAのメンバーであったシャビ・エトセバリエタは、検問で車を止めようとした警察官を銃撃し死亡させた。エトセバリエタはその場で他の警官により射殺された。その報復としてETAは、警察の要人であり、おそらく拷問の指揮者でもあったメリトン・マンサナスの殺害を計画し実行した。 1973年、フランコの継承者と目され、スペインの首相であったルイス・カレーロ・ブランコの車をマドリードで爆破し殺害した。長期に亘る独裁に反対していた多くの人々はこの出来事を歓迎した。その後、ETAは軍事部門と政治軍事部門に分かれた。
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