フランコの墓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/11 19:45 UTC 版)
フランコの死後の1975年、暫定政府はこの地を総統の埋葬場所として指定した。しかし、実はフランコ自身は谷に埋葬されることを望んでおらず、マドリードへの埋葬を望んでいた。バシリカの外、谷の下に横たわる内戦の戦没者とは異なり、フランコは教会内部に埋葬された。彼の墓は主祭壇の聖歌隊歌唱席側、名前が刻まれただけの簡素な墓石の下にある。 フランコは、バシリカに埋葬された2人目の人物であった。フランコは以前、ファランヘ党創設者アントニオ・プリモ・デ・リベラを祭壇横の本堂に埋葬させていた。フランコに先立つこと39年前の1936年11月20日に死んだプリモ・デ・リベラの墓は、祭壇のちょうど反対側にある。 現在、戦没者の谷は人気のある観光地である。また、毎年11月20日に近い土曜日になると、フランコ時代を懐かしむ人々やファランヘ党の活動家による記念行事が行われている。
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