フランコ政権成立以後
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「スペイン料理」の記事における「フランコ政権成立以後」の解説
フランコ政権下、1950年代初頭まで民衆は窮乏し、食料不足が続いた。窮状の中から既存の料理の食材を別のもので代用したスセダネオ(代用品、Sucedaneo)が考案され、カフェ・デ・マルタ(大麦のコーヒー、Café de malta)、卵の代わりに水で溶いたヒヨコマメの粉を使った卵抜きオムレツが生まれた。スペイン内戦後の全国一律の配給制度による食材の普及、闇市の隆盛により、スペイン人の食生活は大きな変化を迎える。食材不足のためにいくつかの伝統的な料理があまり作られなくなり、自家製のハムとソーセージは店で購入できる既製品に代わられていった。農民がラードの代わりにオリーブオイルを料理に使うようになったのもこの時期である。 1960年代、スペインは急激な経済発展を遂げる。観光産業と外食産業の発展に伴って地方料理が見直され、地方料理を紹介する書籍が続けて出版された。地方からマドリードやバルセロナなどの大都市への人間の移動が進むとともに、移住者の出身地の地方料理が大都市で普及し、ガリシアのポルボ・ア・フェイラやアストゥリアスのファバダなどが国民料理の地位を獲得していく。 フランコ独裁政権の後、スペイン人の多くはマスメディアを通して栄養、衛生についての観念を吸収し、栄養と健康を意識した食生活が志向されるようになる。貧困の中からスセダネオのいくつかは、ベジタリアンフードとして再評価を受けるようになった。また、1970年代にフランスで起きたヌーベル・キュイジーヌの動きに触発され、バスク地方で伝統から脱した新しい料理を研究する運動が始まった。1980年代の「なんでもあり (Vale todo)」の時代、スペインは急速に他国の文化を取り入れ、この影響は食文化にも及んだ。
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