廃業・晩年
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やがて1930年代に世界恐慌が起こると、アメリカの亡命作家らは帰国し、さらに1941年にナチス・ドイツがフランスを占領すると、ビーチはシェイクスピア・アンド・カンパニー書店を閉店せざるを得なくなった。1941年12月に、ドイツ兵が来店し、『フィネガンズ・ウェイク』を買おうとしたが、ビーチは手元に1冊しかないという理由で販売を拒否した。ドイツ兵に追って在庫を押収すると言われたため、モニエと彼女の助手の助けを借りて在庫をすべて上階のアパートに移動した。1943年、ビーチは他のアメリカ人亡命者とともにヴィッテル収容所(フランス語版)(ヴォージュ県)に収容され、6か月後に釈放された。 1959年、回想録『シェイクスピア・アンド・カンパニー書店』を発表した。 1962年、シルヴィア・ビーチはパリにて75歳で死去し、故郷プリンストンの墓地に埋葬された。シェイクスピア・アンド・カンパニー書店が再開されることはなかったが、1951年に別の英語書籍の専門店「ル・ミストラル」を創設したジョージ・ホイットマンが、かねてからビーチに勧められていた通り、彼女の没後1964年にシェイクスピア生誕400年を記念して「シェイクスピア・アンド・カンパニー書店」に改称した。
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廃業~晩年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 08:44 UTC 版)
引退後は一代年寄制度で年寄・男女ノ川を襲名して日本相撲協会理事にまで就任したが、自宅の庭に開墾した農園経営に熱中して協会に関心が無くなってから理事会に出席もせず、理事を辞任、協会自体も1945年6月場所を最後に廃業した。廃業後は農園経営の傍ら、中島飛行機会社の青年学校の教官を務め、その後日本勤労大衆党から第22回衆議院議員総選挙(東京都第2区)に出馬するも落選、その後行われた第24回衆議院議員総選挙にも出馬して落選した。二度の落選で農園、貯金の大半を失い、サラリーマンから保険外交員・土建業・金融業・私立探偵も務めたが、私立探偵といっても身長193cmの巨体だったゆえに尾行もままならず、即座に廃業した。1953年時点では西村金融緑町支店に勤務していたが倒産。このように仕事が長続きしないことから間もなく妻子に捨てられてしまい、一人暮らしを始めた。その後千代田生命保険第二支社支社長補となった矢先に脳卒中で倒れた。すぐに知人によって発見されて一命を取り留めたものの、杖無しでは歩くこともままならないほど衰弱したため、東京・保谷の養老院尚和園に入所した。 しかし、男女ノ川が養老院へ入所したことだけで新聞ダネになるなど不遇な晩年を過ごした。雑誌のインタビューで男女ノ川は、記者に「酒を飲む金も無くてね…」と弱音を吐いていたところ、その記者が一升瓶を差し出すと満面の笑みを見せたほどである。あまりの境遇に、1965年には時津風や高砂の提案で日本相撲協会が募金によって援助したことさえあるが、その金も選挙に立候補する資金を作ろうとして競艇で負け、手元には1円も残らなかった。1968年12月25日には時津風の相撲協会葬が蔵前国技館で行われて男女ノ川も参列したが、前述のように脳卒中で倒れて以降は歩行時に杖が欠かさなくなったため、杖をついてフラフラに歩き、色褪せたつぎはぎだらけの喪服で参列した大きな男女ノ川に、その場に居合わせた者は哀れみを憶えたという。1963年には還暦を迎えたが、脳卒中で歩行すら困難な状況でもあったため還暦土俵入りは実現できず、還暦土俵入りで用いられる赤い綱を受け取ったかも不明である。 最晩年は武蔵村山市の料亭「村山砦」に引き取られ下足番をしていた。この料亭は、相撲ファンの一人が経営していた店で歩くのもままならない元横綱のために一肌脱いだもので、男女ノ川は近くの社宅に住んで店の法被を着用し、終の棲家として生活を送っていたが、1971年1月20日に脳出血のため東京都内の病院で死去した。67歳没。店の関係者が男女ノ川の自宅を訪れたところ部屋の中で倒れていたという。男女ノ川の葬儀は、会葬者が30人足らずという寂しさであった。この日は、奇しくものちに貴乃花光司と共に「若貴兄弟」として爆発的な人気を呼び、自身も横綱へと昇進する若乃花勝が生まれた日でもあった。当時30代の長男がいたが、墓所は不明である。 2020年秋、佐倉市内に住む村山砦の元従業員宅からスケッチブックやアルバム帳など遺品数点が発見される。
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