廃業の危機と再興
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 19:27 UTC 版)
1990年代には、演芸場が建物の老朽化により、廃業の危機に見舞われた。桂歌丸らが「三吉演芸場を残す会」を組織し、募金活動により2500万円近い再建資金を集めたが、それでも資金不足であった。 玉江は苦悩の挙句、横浜市長宛てに「演芸場が不要なら、きっぱり辞めます。もし残した方がいいと言ってくれるなら、老骨に鞭を打って、息子をひっぱたいて続けます」と手紙を書いた。 横浜市は「長年にわたって市民に親しまれ、大衆芸能を支えてきた大切な施設」として支援を決定し、市としては初めて民間文化施設への建設援助に踏み切り、1997年(平成9年)の市議会で補正予算として不足分が計上された。こうして演芸場は改築、再建に至った。
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