本田玉江
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本田 玉江(ほんだ たまえ、1924年〈大正13年〉12月16日 - 2018年〈平成30年〉4月3日)は、日本の実業家。神奈川県横浜市の大衆劇場である三吉演芸場の社長、後に会長。横浜唯一の大衆演劇の常打ち劇場である同劇場の経営により、大衆演劇の普及と定着に貢献した[1]。旧姓は杉本[1]。神奈川県横浜市末吉町出身[2]。
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i 江刺他 2019, pp. 186–187
- ^ a b c 「本田玉江さん死去 93歳、三好演芸場会長」『神奈川新聞』神奈川新聞社、2018年4月5日、22面。
- ^ a b c 「横浜に生きる女性たちの声の記録」を作成する会 1997, pp. 40–41
- ^ a b 山本真男「三吉演芸場会長の本田さん死去 横浜唯一の常打ち小屋」『朝日新聞』朝日新聞社、2018年4月10日、東京地方版 神奈川、30面。
- ^ a b c d 野口 1989, pp. 62–63
- ^ a b 市川 1996, pp. 57–58
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- ^ 中島小百合「「桂歌丸一門会」有終の美 三吉演芸場と歩んだ40年」『神奈川新聞』、2014年11月25日、7面。
- ^ 「横浜に生きる女性たちの声の記録」を作成する会 1997, p. 46.
- ^ a b 「若者に受ける“新鮮さ”舞台裏拝見 かながわの文化現場」『朝日新聞』、1993年3月23日、東京地方版 神奈川。
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- ^ 松野孝司 (2012年5月10日). “約80年の歴史を誇る「三吉演芸場」とはどんなところ?”. はまれぽ.com. Poifull. p. 1. 2020年7月2日閲覧。
- ^ 谷口崇子「“下町情緒残して、生まれ変わります”横浜の芝居小屋「三吉演芸場」」『毎日新聞』毎日新聞社、1996年6月22日、地方版 神奈川。
- ^ 石浜友理「ひと紀行・かながわ街物語 三吉演芸場 大衆演劇を支えて」『読売新聞』、2005年6月26日、東京朝刊、36面。
- ^ a b 服部宏「イマカナ エンターテインメント 追悼 横浜・三吉演芸場会長 本田 玉江さん 飾らず、折り目正しく」『神奈川新聞』、2018年4月11日、13面。
- ^ 「大衆芸能を救え! 三吉演芸場の建て替え、横浜市が2700万円援助」『毎日新聞』、1997年12月5日、地方版 神奈川。
- ^ 「募金実り、灯再び 横浜の大衆芸能拠点「三吉演芸場」」『朝日新聞』、1997年12月26日、東京地方版 神奈川。
- ^ 「熱気球」『中日新聞』中日新聞社、1997年12月26日、朝刊、23面。
- ^ 中村翔樹「「日本人のDNAに刻まれている」最古の大衆演劇専門劇場が横浜に」『産経新聞』産業経済新聞社、2017年9月24日、1面。2020年7月2日閲覧。
- ^ a b 高田久美子「文化亭 ハマの演芸支えた二人」『神奈川新聞』、2018年7月26日、14面。
- ^ 市川 1996, pp. 55–57
- ^ a b c 「本田玉江さん(かながわ・100人の肖像)」『朝日新聞』、1994年11月13日、東京地方版 神奈川。
- ^ 「本田玉江さん 三吉演芸場の女小屋主(ヨコハマの人)」『朝日新聞』、1989年6月6日、東京地方版 神奈川。
- ^ 伊藤彰浩「親子継業 演芸場(横浜市南区)本田玉江・博さん」『読売新聞』、2000年1月14日、東京朝刊、32面。
- ^ 市川 1996, pp. 58–59
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