演芸の工夫とは? わかりやすく解説

演芸の工夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 19:27 UTC 版)

本田玉江」の記事における「演芸の工夫」の解説

落語家桂歌丸は、幼少時より三吉演芸場芝居見ていたことや、改修後こけら落とし出演した縁で、月末日31日独演会開催申し出た玉江たちは「活気も出るし、演劇場の特色打ち出せる」と快諾した。ところが演劇協会から「31日といえば楽日にあたり、その大事な日を渡すことはできない」と反発かかった。そこで玉江は、31日自分劇団買い取るといって自腹劇団31日分の出演料払い組合納得させた。こうして1974年昭和49年)から年5回、月末日に「桂歌丸独演会」が開催される至り、後に一門会として2014年平成26年)まで40年続いた玉江はさらに、大衆演劇低迷による客数の減少憂慮し演芸場前の中村川利用した船乗り込み企画した奉加帳振り回して寄付集めて1975年昭和50年)に船乗り込み実現させ、当時売り出しであった梅沢富美男振袖姿で出演した当日交通整理警官出動するほど大賑わいとなり、マスコミ取材殺到したその後専属劇団結成したり、他の劇団招いたりと、興行工夫凝らした地域老人たちを無料招待したり、学校の生徒たちを団体割引にしたりと、地域繋がり重視した酔っ払った客の入場を断るなど、雰囲気作りにも気を配った開館50周年記念には、先代夫妻苦労話を自ら脚本として書き下ろした戯曲年輪』を上演した。夫が肝臓がん患ったため、「夫が生きている内に」と、50周年1年繰り上げての上であったが、上演中は夫は闘病中のために観劇が叶わず、1979年昭和54年)に死去した1989年平成元年)、大衆演劇普及と定着尽くした活動評価され横浜文化賞受賞した

※この「演芸の工夫」の解説は、「本田玉江」の解説の一部です。
「演芸の工夫」を含む「本田玉江」の記事については、「本田玉江」の概要を参照ください。

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