亡命ラテン皇帝(1261年~1383年)
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ボードゥアン2世 (1261年~1273年)、 コンスタンティノープルより亡命。 フィリップ1世 (1273年~1283年)、その息子。 カトリーヌ1世 (1283年~1307年)、その娘。 シャルル・ド・ヴァロワ (1301年~1307年)、その夫。 カトリーヌ2世(フランス語版) (1307年~1346年)、上記両人の娘。 フィリッポ1世 (1313年~1332年)、その夫。 ロベルト2世 (1346年~1364年)、上記両人の息子。 フィリッポ2世(イタリア語版) (1364年~1373年)、その兄弟。 ジャック・デ・ボー (1373年~1383年)、その甥。 ジャック・デ・ボーは自身の名目上の請求権をナポリ王位請求者でもあるアンジュー公ルイ1世に遺稿したもののルイ1世とその子孫はラテン皇帝の称号を使用したことは一度もなかった。ただし、ジャックの封建上の相続人達はカトリーヌ2世の末妹であるジャンヌ・ド・ヴァロワの子孫であり、それを以下に挙げる。
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