亡命の手助け
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/22 17:45 UTC 版)
「アドリエンヌ・モニエ」の記事における「亡命の手助け」の解説
女性写真家ジゼル・フロイントについては、『ヴェルヴ』誌にフロイント論を掲載するほか、書店でフロイントの作品のスライド上映会も行った。フロイントはドイツに生まれたが、ユダヤ人共産主義者であったため、ヒトラーが政権を握った1933年にフランスに亡命し、フランスで活躍した写真家であり、モニエやビーチの書店に出入りする作家の肖像写真を撮っていた。「人々の表情が織り成す世界への旅」と題されたスライド上映会には被写体となった作家も多数参加した。第二次世界大戦が勃発すると、フロイントを自宅に匿い、知り合いの外務省関係者の助力を得て、彼女をアルゼンチンに亡命させた。これは、1930年にドイツ文学研究者フェリックス・ベルトー(フランス語版)を介して知り合ったヴァルター・ベンヤミンに対しても同様であった。ベンヤミンはモニエの随筆をドイツ語に翻訳し、モニエはベンヤミンの著書を紹介していた。1939年9月に、ベンヤミンがオステルリッツ駅からニエーヴル県ヌヴェール近郊のヴェルニュシュ収容所に送られたとき、哲学者シャルル・ラロ(フランス語版)、ジュール・ロマンと連名で外務省勤務の外交官アンリ・オプノー(フランス語版)にベンヤミンの釈放を求める手紙を書き、ベンヤミンは11月16日に釈放された。モニエは他にも多くのユダヤ人を自宅に匿い、亡命を助けたり、南部の自由地域(フランス語版)への通行許可証を手に入れたりした。助けられたユダヤ人の証言は後に『メルキュール・ド・フランス』誌のモニエ特集号に掲載されることになる(後述)。
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