亡命まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 00:19 UTC 版)
「シメオン・サクスコブルクゴツキ」の記事における「亡命まで」の解説
ブルガリア王ボリス3世と王妃イオアンナの長男としてソフィアに生まれる。マリヤ・ルイザ王女に次ぐ第2子で、弟妹はいない。第二次世界大戦中の1943年、父王ボリス3世が急死したことを受けて、シメオン2世として6歳で即位し、叔父のプレスラフ公キリル王子、首相ボグダン・フィロフらの摂政団が政務を執った。終戦後の1946年にブルガリア人民共和国が成立して王制が廃止されたため(キリルとフィロフは1945年に処刑されている)、9歳の時に母后らとともにブルガリアを後にしてエジプトへ亡命した。その後、亡命先をスペインに変更した。スペインに移った後はアメリカの陸軍士官になったり実業家として生計を立てていた。
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