ベレンコ中尉亡命事件を受けて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 01:07 UTC 版)
「警戒航空団」の記事における「ベレンコ中尉亡命事件を受けて」の解説
1976年(昭和51年)9月に発生した、ベレンコ中尉亡命事件で航空自衛隊警戒レーダー網では、低空飛行侵入ではレーダー探知できない盲点があることが浮き彫りになった。このため、より一層の防空体制の確立が急務となり、同年10月に閣議決定された防衛大綱(51大綱)で警戒航空部隊の編成が定められた。これを受けて早期警戒機に関する調査を開始し、1977年(昭和52年)5月15日から6月10日にかけてアメリカへ第一次早期警戒機調査団を派遣し、1978年(昭和53年)5月24日から6月14日にかけても第二次早期警戒機調査団をアメリカに派遣して情報収集を行い、同年8月23日にE-2Cが導入機種に内定、1979年(昭和54年)1月11日の国防会議で導入が正式決定された。まず、4機のE-2Cが導入されることとなり、運用部隊として1982年(昭和57年)12月21日に北部航空方面隊司令部直轄で警戒航空準備隊が三沢基地に編成された。
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