世界での普及
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カニカマは世界各地で安値で食べられるサラダなどのトッピングとして広がり、水産加工メーカーとしてはいち早くヨーロッパ、アメリカ合衆国に進出を果たした紀文食品のマリーンを足掛けに、日本から多く輸出された。しかし、欧州連合(EU)、アメリカの水産食品製造施設へのHACCP導入により、対応できる日本の企業が限定されること、現地生産の増加、BSE等の影響で輸入冷凍すり身が高騰したことなどから輸出は減少傾向となり、現在、海外では韓国製のものが多く流通している。 EU、アメリカでは肉より魚を好む傾向が強くなり、日本食ブームが追い風となって、世界の消費量は拡大、カニカマを指す「スリミ(surimi)」という単語も定着している。フランスではこのスリミと野菜類を普通のフランスパン(バゲット)よりも柔らかい食感のスエードワ(スウェーデン風パン)で挟んだものを「スウェーデン風サンドウィッチ」と称して街のパン屋などで広く売られている。またアメリカには"KANI"という商品名のカニカマも存在しており、スシバーなどでは蟹を意味するcrabに対して、kaniと言えばカニカマのことを指すという誤った用法が定着している地域もある。 2015年1月時点で、日本での消費量は年間5万トン。世界では50万トン消費されている。一番消費量が多いのがヨーロッパ地域で、1位:フランス、2位:スペインである。 世界一の生産国はリトアニアで、同国のビチュナイ社が、カニカマのシェアNo.1である。プルンゲに工場があり、ヨーロッパ各国へカニカマを輸出している。 中国では日本から技術導入した工場が現地製造している。「人造蟹柳」(レンザオシエリュウ rénzào xièliǔ)などと呼ばれるが、鍋料理など、各種の中華料理に加工されて普及しており、「蟹柳」と書かれた料理を注文する際には、本物のカニ肉を使ったものか確認が必要である。また、本物のカニが安価に手に入るタイ王国やフィリピンでも、代用品としてではなくカニカマ自体が人気食品となり、鍋や天ぷらの具として一般化している。1990年代初頭の中国のホテル等ではジンの香りのするマヨネーズと和えて珍しい一品として食べられた。 タイではカニカマは寿司の具、刺身の一種としても認識され、タイ資本の日本料理店では刺身盛りの中にも登場し、寿司の具でも定番人気となっている。もちろん本物のカニでないことはタイ人も知っているが、ごく普通にシーフードの一種として扱われ、スーパーマーケットでも必ず魚売り場に置かれている。アイスボックスを使った「カニカマボックス」を設置する店も多く、国民食として定着している。
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世界での普及
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 10:58 UTC 版)
初期のアイスクリームは、冷たいボウルの中で手を使い造られたため、製造は大変に困難であった。これを改良する発明は主に18世紀に移民によってアイスクリームが伝わったアメリカ合衆国でなされた。1846年、アメリカのナンシー・ジョンソンという主婦によって手回しのクランク式の攪拌機が発明された。1851年にはメリーランド州ボルチモア市の牛乳屋ヤコブ・フッセルが、余った生クリームを処理するために世界初のアイスクリーム製造工場を造った。この後、アイスクリームは量産品と、生洋菓子にはっきり分かれるようになる。量産品のアイスクリーム製造は、アメリカ合衆国が盛んである。一方、1867年にドイツで製氷機が発明されると、この冷凍技術と酪農の発達に伴い、アイスクリームの工場生産時代を現出した。 アイスクリームサンデー(Sundae)は、1881年にウィスコンシン州のエド・バーナー(Ed Berners)によって発明された。バーナーは日曜日に、5セントでデザートを提供した。このためにこの名がついた。 禁酒法時代(1920年 - 1933年)のアメリカでは、バーに代わって人々の社交の場となったソーダファウンテンで提供されたことから、アイスクリームは急速な普及を見せた。ビール販売を行えなくなった大手ブルワリーでもアイスクリームの製造が始まった。1916年から1925年までに、アメリカの人口はおよそ15%増加した一方、アイスクリームの消費量は55%も増加した。健康食品としての宣伝も行われた。アイ・スクリーム・バー(I-Scream Bars, 後のエスキモー・パイ(英語版))、グッドユーモア・バー(英語版)、ポプシクルなど、様々な棒付きアイスクリームやアイスキャンディが考案され、また普及したのもこの時代であった。1933年に禁酒法が廃止されると、バーが再開されたことでアイスクリームの人気も多少落ち着いたが、以後も国民的な嗜好品の地位を保った。第二次世界大戦中のアメリカ軍でも将兵の士気を向上させるべく大量に供給され、アイスクリームの製造と運搬を専門に行うアイスクリーム・バージも調達された。 2015年夏の1か月間、イタリア国内の数百店舗では、貧困家庭の子ども等にアイスを無償提供するプロジェクト「保留アイス」が実施された。趣旨に賛同した購入客が2つ分の料金を支払うことで成立する仕組みで、SalvamammeというNGOが考案した。同国ナポリ発祥とされる「カフェ・ソスペーゾ(他人のコーヒー先払い)」に倣ったもの。 アイスクリームの国別消費量は、統計主体や手法により差はあるが、ユーロモニター社の調査によれば1人あたり年間消費量の最大国はオーストラリアの19.3リットルである。
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