世界での活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 09:00 UTC 版)
陳平は料理人、徳子はメイドとしてアメリカ人宅で働く。カントンの日系人に誘われ、日本園(庭や茶店、雑貨店があり、歌などの余興を見せる日本村)を手伝ったのち、ピッツバーグで日本人経営のホテルを手伝う。ボストン近くの行楽地で日本雑貨の売店を開いたが、しばらくして上手くいかなくなり、下働きを嫌って、芸人になることにし、ボストンのストーン劇場で夫婦で手品を披露する。手配師の世話でカナダに遠征し、旅芸人として各地を巡業する。徳子は歌がうまく、同業の外国人から歌を習う。ニューヨークに戻ってから正式に歌の勉強を始めたが、生活費のためにアメリカ各地を巡業。ニューヨークで音楽家の高折周一から勧められてダンスを学び始め、アメリカ流のショービジネスに目覚める。ポルトガル人にダンス、イタリア人にパントマイムを習い、インド人の舞踏一座に加わる。ピッツバーグの茶商に職を得て、同社経営の喫茶店のスタッフとして働く。ニューヨーク郊外の映画会社と夫婦で契約し、役者として働いたのち、陳平は役者を辞めて徳子のマネージャー的存在になる。ロンドンに渡り、徳子はトロカデロほか、数か所の劇場に出演し、好評を得る。ロシアから誘いがあり、公演を始めたが、1914年(大正3年)に第一次世界大戦が勃発し、8年ぶりに帰国する。
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