イスラーム世界での普及とは? わかりやすく解説

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イスラーム世界での普及

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 14:26 UTC 版)

コーヒーの歴史」の記事における「イスラーム世界での普及」の解説

バンカムはイスラーム世界寺院秘薬として飲まれ当初一般人間が口にする機会無かった。バンカムはイスラム神秘主義スーフィズム)の修道者スーフィー)によって愛飲され、コーヒー起源まつわる3つの伝説にはいずれもスーフィー関与している。スーフィーたちは徹夜で行う瞑想祈りのときの眠気覚ましとしてバンカムを用い宗教活動の中で飲用されるバンは彼らから神聖視された。やがてバンカムは「カフワ欲望減退させる飲料ワインの別名)」と呼ばれるうになるスーフィーたちは夜の礼拝時にカフワ飲用し、マジュールというボウルカフワ入れて仲間内回し飲みをしていた。 13世紀入ってコーヒー豆が炒られるようになると、香り風味付加され飲料多く人間好まれるようになった。豆が焙煎されようになった経緯不確かであるが、偶然起きた何らかの事故で豆が焼かれ時に出た芳香きっかけになった考えられている。トルコイランエジプトでは、豆の焙煎使われ1400年代道具発掘されている。また、コーヒー一般への普及伴って、マジュールを製造していた陶工たちはコーヒーカップ相当する器の製造手掛けるようになった15世紀以後に「カフワ」はイエメンからイスラーム世界に広まる。イエメン古都ザビードでは、1450年頃にスーフィーによってコーヒー飲まれていたことを証拠づける考古学的資料発掘されている。16世紀初頭には、カイロアズハル大学でもコーヒー飲まれていた。16世紀初頭メッカメディナ、あるいはカイロモスクではコーヒー飲みながら礼拝を行うスーフィーの姿が多く見られたが、同時にコーヒー飲用宗教的な是非が大きな問題となった1511年にはメッカ高官ハーイル・ベイ・ミマルによってコーヒー飲用の是非が諮られた後、メッカ内のコーヒー豆焼かれコーヒー売買した者や飲用した者は鞭打ち処されるコーヒー弾圧事件起きる。翌年カイロから「コーヒー飲用随伴する反宗教行為取り締まり」のみを許可する通達出され、ハーイル・ベイ・ミマルは職を解任された。1525年/26年には風紀を乱すとしてメッカ内のコーヒーハウス閉鎖命じられたが、コーヒー自体飲用禁止されなかった。 だが、コーランクルアーン)では炭の食用禁じられており、煎ったコーヒー豆が炭に酷似している点から、コーヒー飲用シャリーアイスラーム法)に抵触している疑義、あるいはコーヒー自体がビドア(宗教的逸脱)に該当する懸念のため、コーヒー飲用対す反対意見はなおも出続ける。また、コーヒー供する店が政治的な活動の場、もしくは賭博売春の場となりえたために国家から嫌悪される。コーヒー弾圧の後もカイロメッカはしばしコーヒー禁止令が出されコーヒー店襲撃される事件起きる。コーヒー産地であるイエメンでは、コーヒーカート互い正統性について論争をさせる文学現れた。 1517年オスマン皇帝セリム1世によるエジプト遠征の際にコーヒーオスマン帝国伝わったと言われている。アラビア語の「カフワ」がトルコ語転訛して、トルコ入ったコーヒーは「カフヴェ」と呼ばれるようになったトルコ伝わったコーヒーは、炒って砕いた豆を泡立つように煮出して飲まれトルココーヒーの名前で知られるようになったオスマン帝国コーヒー産地であるイエメンエチオピア沿岸部支配下収めるコーヒー普及はより進みサファヴィー朝統治するイランムガル帝国統治するインドにも伝播した。 コーヒーもたらすであろう利益着目した商人イエメンの外に大量コーヒー持ち出し小規模スタンド店舗コーヒー販売し飲み物宣伝行った1530年代オスマン帝国の支配下に置かれていた北シリアダマスカスアレッポコーヒー店開かれる1550年代にはイスタンブールにもコーヒー供する店舗開かれ皇帝セリム2世時代1566年 - 1574年)にはイスタンブール内のコーヒーの店」は600軒を超えていた。このような店舗はカフヴェハーネ(直訳するとカフヴェの家、すなわち「コーヒー・ハウス」)あるいは単にカフヴェと呼ばれ庶民知識人集まって語り合ったり、詩などの文学作品朗読会を行う社交の場として広まった。しかし、地方のカフヴェハーネはならず者のたまり場となり、1570年学者たちはイスタンブールのカフヴェハーネを非難したまた、カフヴェハーネでは政治的な議論の場にもなり、時には権力者から弾圧を受けることもあった。1580年コーヒーワイン同種の飲み物であると公式に分類された後も、オスマン帝国内のコーヒー消費増え続ける。 オスマン皇帝アフメト1世治世1603年 - 1617年)に「コーヒー豆は炭になるほど強く火にかけられていない」という見解出されコーヒーイスラーム世界公的に認可され飲み物となる。メッカにおいてはコーヒーザムザムの泉と同じ効力のある「黒いザムザム」として飲まれ巡礼者たちはコーヒー豆故郷持ち帰ったまた、オスマン帝国貴族高官の間には、コーヒー供するにあたって厳格な作法成立していた。 初期イスラーム世界コーヒー店ではコーヒー大鍋入れて温められ小さな容器移して客に供されていたと考えられている。イスラーム世界ではコーヒー砂糖牛乳入れることはほとんどなく、調味には主にカルダモン使われていた。また、牛乳入れたコーヒーハンセン病原因になるという迷信存在していた。1600年頃のカイロコーヒー砂糖入れられ始められ1660年頃に清に滞在していたオランダ大使ニイホフがコーヒー牛乳加え飲み方始めたと言われている。17世紀カイロ訪れたヨーロッパ人ヴェスリンギウスはコーヒー苦み無くすために砂糖入れ人間現れていたことを記しトルコでは「コーヒー甘くなくてはならない」という格言生まれたオスマン帝国訪れたヨーロッパ商人たちコーヒー好奇の目で見、旅行記などで故郷人間コーヒー存在伝えたヨーロッパ世界でもコーヒーハウスが建つようになるコーヒー需要増加するが、供給源イエメン限られていた。ヨーロッパ商人対抗できる商品探していたカイロイスラーム商人たちイエメンコーヒー着目しコーヒー交易独占したトルコ革命経て成立したトルコ共和国ではコーヒー生産されておらず、消費量少ない。だが、トルコ主要な飲み物となった後も、トルコではあくまでも略式飲み物であり、コーヒー正式な場で出される飲み物だととらえられている。かつてオスマン帝国の支配下に置かれていたこともあるヨーロッパバルカン半島でも、セルビア風の煮出しコーヒーとともにトルココーヒー飲まれている。

※この「イスラーム世界での普及」の解説は、「コーヒーの歴史」の解説の一部です。
「イスラーム世界での普及」を含む「コーヒーの歴史」の記事については、「コーヒーの歴史」の概要を参照ください。

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