リチャード・ファインマンの役割
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「ロジャース委員会報告」の記事における「リチャード・ファインマンの役割」の解説
委員会のメンバーのうち、最も有名な者の1人が理論物理学者のリチャード・ファインマンである。委員会のスケジュールに従わない彼の調査のスタイルは、ロジャースを困らせ、ある時は「ファインマンは悩みの種だ」とコメントされたこともあった。テレビを通じたヒアリングで、ファインマンはよく知られているように、材料のサンプルを氷水の入ったグラスに浸し、氷点下の温度で如何にOリングの弾力性がなくなり、気密性を損なうかを実証した。ファインマンの独自の調査で、NASAの技術者と幹部の間の情報の断絶が想像されていたよりもずっと著しかったことが明らかとなった。NASA高官に対する彼のインタビューは、基礎的な概念の驚くべき誤解があることを明らかにした。そのような概念の1つは、安全率の決定であった。 例えば、初期の試験で、いくつかのブースターロケットのOリングが3分の1のところで燃えた。これらのOリングは固体燃料ブースターを構成する垂直円筒状の区画に必要なガスを漏らさないためのものである。NASAの責任者はこの結果をOリングの安全率が3であることを示すものとして記録した。ファインマンは、信じられない思いでこの誤りの重大性を説明した。「安全率」とは、ある物体が考えられる限り以上の力を受けた時にも耐えることができる設計である。ファインマンの説明を要約すると、実際に1000ポンド以上の負荷がかかることが考えられない場合に、3000ポンドまで無傷で耐えられる橋を設計すると安全率は3となる。しかし、1000ポンドのトラックが橋を渡ってひびが生じたとしたら、それが桁の3分の1にしか達していなかったとしても、安全率はもはや0であり、実際に橋が崩落しなかったとしても欠陥品なのである。 NASAの責任者がこの概念を誤解していただけではなく、実際は全く逆の意味で使っていたことに対し、ファインマンは明らかに動揺していた。ファインマンは、NASAの幹部と技術者の間の情報伝達不足をさらに調査し、幹部が、スペースシャトルに大事故が起きるリスクが10万回に1回と話すのを聞いて衝撃を受けた。ファインマンはすぐに、この主張のばかばかしさに気付いた。このリスク評価では必然的結果として、NASAが274年間毎日スペースシャトルを飛ばしても平均して1回しか事故が起こらないということになる。ファインマンは、この10万回に1回という数値が有人飛行を前提とした目標値であり、そこから部品の故障率を算定するためのものであることに気付いた。 ファインマンはこの状況の2つの面に困惑していた。1つめとして、NASAの幹部はそれぞれ個々のボルトにまで故障の確率を割り当て、その確率は1億分の1だということもあった。ファインマンは、そのような科学的にまず起こりそうにないことを計算することは無意味であると指摘した。2つめとして、ファインマンはこのようなずさんな科学に困惑していただけではなく、NASAは大事故が起こるリスクは「必然的に」10万分の1になると主張していた。数字自体が信じがたいものであったが、ファインマンは、この文脈で「必然的に」が何を意味しているのか、この数字が他の計算からも論理的に導かれるのか、それともそのような数字であってほしいというNASAの幹部の願いを反映しているのか、といったことに疑問を感じた。 ファインマンは、10万分の1という数字は空想上のもので、スペースシャトルの惨事が起こる確率は荒い推定で100分の1程度ではないかと疑っていた。その後彼は、技術者自身に調査を行うことを決め、彼らに匿名でスペースシャトルの爆発の確率の推定値を書かせた。ファインマンは、技術者の大半がその確率を50分の1から200分の1と評価していることを発見した(スペースシャトル退役時点で135回の飛行で2件の大事故が発生しており、確率は67.5分の1であった)。この事実は、NASA幹部と技術者の間で意思の疎通が明らかに図られていなかったことを確固としただけでなく、ファインマンの感情に火を点けた。彼は、これらの意識の違いを述べるにあたりNASAの問題に関する厳しいが冷静な分析から次第に離れ、科学的な不備から倫理的な不備に至ったと認識するに至った。NASAが学校教師クリスタ・マコーリフを乗組員としてミッションに参加させるため、この空想上の数字を公衆を納得させる事実として示していたことに腹を立てた。ファインマンは、100分の1というリスクを否定してはいなかったが、一般人を飛行士に起用するにあたっては真のリスクを正直に述べる必要があったと強く感じた。 ファインマンの調査は最終的に、チャレンジャー号の事故の原因の大部分はNASA幹部の安全率に対する誤解にあることを示唆した。Oリングは、スペースシャトルの固体ロケットブースターを密閉し、ロケットの熱いガスが逃げて機体を損傷することを防ぐために設計されたゴムのリングである。ファインマンはNASAの主張をよそに、Oリングは低温に適していないもので、寒い時には弾力性を失い、そのためロケットの圧力が固体燃料ブースターを変形させた際に気密性が保てなくなったと疑った。ファインマンの疑いは、同委員会のクティーナからの、打上げ当日の気温は、これまでの最も低かった12℃よりかなり低い氷点下2.2℃から1.6℃であったとのヒントから考えられたものであった。 またファインマンの調査は、固体燃料ブースターを製造したATKランチ・システムズ・グループの技術者からも、Oリングに関する多くの懸念の声が上がっていたが、情報共有の不足からNASAの幹部に伝わっていなかったことも明らかとした。彼は、NASAの他の多くの部署でも同様の情報共有不足による失敗を見つけていたが、そのソフトウェア開発の確固とした高い効率の品質管理手順を名指しで褒め、その後、NASAの幹部の意向で、金を節約するために試験を減らしたり省略されていたことを指摘した。 NASAの幹部と技術者と対した彼の経験から、ファインマンはNASAの幹部の科学理解の欠如と、2陣営の情報共有不足、そしてスペースシャトルのリスクについての意図的な過小評価とその偽りの公表が事故の原因であったと結論付け、NASAは内部の矛盾を解決し、スペースシャトルの安全性に関する正直な絵を描けるまでスペースシャトルの打上げを中断することを求めた。ファインマンは委員会の他のメンバーの知性に敬意を持っていたものの、NASAに積極的な批判ができる人物が少ないことが問題だと初めから気づいていた。実際ロジャースは、報告書の最後に今後も国民や政府はNASAを強く支持するべきだとの趣旨の「第10の勧告」を盛り込みたいと提言を行ない、他の委員たちはNASA内部に事故の原因を求めるべきであることを知りながら、NASAの業務を停止したり資金を減らしたりする必要はないと考えていることが明確となった。彼以外の委員会のメンバーは、ファインマンの反対意見を受け、多くの請願を受けた後で、ファインマンの意見から、付録という形に格下げはされたが、その科学的かつ批判的な反対意見書を報告書に含めることにした。実際に、ファインマンは、NASAの「安全文化」の欠陥に非常に批判的であったため、ロジャースがNASA寄りの提案である第10の勧告を最終の委員会後に盛り込もうとした時に、付録Fとして付けられたスペースシャトルの信頼性に関する彼の個人的な見解が報告書に含められることと、第10の勧告を削除するまでは、自身の署名を報告書から除くように求めて抵抗した。この署名拒否の事案はマスコミの知るところになったが、実際は、クティナ氏の説得もあり妥協案を飲んで、第10の勧告はやや語尾の表現を柔らくすることで採用され、付録F(23号文案)もそのまま採用されることとなった。。 その付録を、ファインマンは次のように結んでいる。 成功した技術にとって、現実性は社会との関連よりも優先されなければならない。自然を欺くことはできないのだから。「原文:For a successful technology, reality must take precedence over public relations, for nature cannot be fooled.」 ファインマンは、1988年に公表された著書 What Do You Care What Other People Think? でこの時の調査について書いている。本の後半は、調査の内容と、科学と政治の間の関係についてで占められている。
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