プレデターズシーズンレキャップ
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「ナッシュビル・プレデターズ」の記事における「プレデターズシーズンレキャップ」の解説
1998-99 参戦1年目。新チームの1年目の成績としてはNHL歴代3位に入る28勝をあげた(勝ち点63)。28勝47敗7引分でウエスタン・カンファレンスで13チーム中12位であった。 1999-00 昨年度活躍したベテランらを放出して、若手主体のチームとして再び28勝をあげた(勝ち点70)。前年とあまり変わらない28勝47敗7引分7シュートアウトだったが、カンファレンス13チーム中最下位となった。2000年2月20日の対ニューヨーク・アイランダーズ戦においてプレデターズは3分38秒で4ゴールを決めた。 2000-01 この年はさいたまスーパーアリーナでの対ピッツバーグ・ペンギンズ戦2試合で開幕した。日本のアイスホッケー史上最高の観客動員の中、それぞれが1勝した。ゴールテンダーのマイク・ダンハムとトーマス ・ヴォコアンの活躍により、カンファレンス15チーム中10位で34勝36敗9引分3シュートアウトと善戦、勝ち点80を獲得した。最後の一週間までプレーオフ圏内にとどまるなど、三年目にして飛躍を見せた。最終的に10点差でプレーオフ圏外となった。 2001-02 シーズン中に第3ジャージが披露された。一方のチームは全体的に振るわず、成績がまた28勝に戻った。シーズン終盤には、チーム創設時から貢献してきたベテラン選手の大量放出を行い、世代交代を押し進めた。2001年12月6日、プレデターズ史上100勝となった。これにより1990年代のNHL拡張で編成されたチームの中で最も早く100勝に到達した。シュートアウトに恵まれず、28勝41敗13引分0シュートアウトとなり、勝ち点69でカンファレンス15チーム中14位となった。 2002-03 バリー・トロツ監督が監督試合数392でNHL拡張チームの初代監督の中で最高となった。開幕直後はつまずいたものの、中盤の快進撃でプレーオフ圏内へと浮上した。しかし3月に、チーム得点王のレグワンドが骨折すると、それに影響されたのかチームも大失速した。結局チーム史上ワーストとなる27勝に終わった。27勝35敗13引分7シュートアウト、勝ち点74でカンファレンス14位となった。 2003-04 オフシーズンにはディフェンスマン6人中4人を放出する大規模な入れ替えを行い、当時チーム記録となる91ポイントを上げ、バリー・トロツ監督のもとプレデターズはカンファレンス15チーム中8位となり、プレーオフに初参加した。カンファレンス準々決勝で強敵デトロイト・レッドウィングス相手に第6戦まで粘ったものの2勝4敗で敗れ去った。 2004-05 2004年から2005年のNHLロックアウトにより全試合中止 2005-06 スピードを重視するプレデターズに有利になるルール変更があっただけでなく、大スターのポール・カリヤを獲得した。最初の4試合を1点差で勝利した。ただしうち2試合はシュートアウトでの勝利でありこれについては前年と同様である。NHL史上8勝0敗で開幕した4つめのチームとなった。2006年3月16日、対フェニックス・コヨーテズ戦で2対0で完封し、この時点で39勝をおさめた。この試合でクリス・メイソンが、得点を獲得した9人めのゴールテンダーとなった。プレデターズ史上初めて勝ち点100以上の106ポイントをあげ、49勝25敗8引分、ホームでは32勝8敗1引分となった。 ホームアドバンテージを持つ第4シードに食い込むが、プレーオフではカンファレンス準々決勝としてサンノゼ・シャークス相手に5試合中先制したが、1勝4敗で1回戦敗退した。 2006-07 2006年7月2日、フリーエージェントでベテランのセンターであるジェイソン・アーノットを獲得した。アーノットとデイヴィッド・レグウォンドはそれぞれ27点を獲得した。シーズン後期、プレデターズはかつてドラフト第1ラウンドで指名したスコッティ・アプシャルとライアン・ペアレントをトレードに出し、NHLオールスターに5回選ばれているフィラデルフィア・フライヤーズのピーター・フォースバーグを獲得した。 1ヶ月近い間、30チーム中1位の成績を維持し、プレジデンツトロフィー(会長賞)も視野に入っていたのだが、終盤に失速した。それでもチーム記録の51勝23敗8引分で110ポイントをあげ15チーム中4位となった。このポイントは全体でみるとバッファロー・セイバーズの113ポイント(53勝22敗7引分)、デトロイト・レッドウィングスの113ポイント(50勝19敗13引分)に次ぐ3位の成績であった。NHLはウェスタンとイースタンの2つのカンファレンスでランキングを付け、デトロイトがトップ、アナハイム・ダックス(48勝20敗14引分110ポイント)、バンクーバー・カナックス(49勝26敗7引分105ポイント)に次いでプレデターズは4位となった。カンファレンス準々決勝となるプレーオフでは前年に引き続き、シャークスと対戦することになったが、最終的に2年連続の1勝4敗、3年連続の1回戦敗退に終わった。 2007-08 オフシーズンに主力を大量放出し、チームを買収する可能性のある人が複数おり、過去2年に比べ苦戦しシーズン半ばまで移転の噂が流れた(後述)。フロリダ・パンサーズにトレードされたトーマス・ヴォコアンの控えのゴールテンダーのクリス・メイソンは不安定なシーズンを送り、ダン・エリスとゴールテンダーを度々交代した。シーズン前にダラス・スターズから打診を受けていたエリスは、シーズン終盤にNHL史上5番目に最長の233:39で完封し、最終的に91ポイント、カンファレンス8位ギリギリで4年連続のプレーオフ進出を決めた。 プレジデンツトロフィーおよびスタンレーカップ優勝を目指したが、デトロイト・レッドウィングス相手に2勝4敗で、4年連続プレーオフ1回戦敗退となった。 2008-09 新たなオーナーのもとでいくつかの人事異動が行なわれたが、アレキサンダー・ラデュロブの二重契約問題でいきなりシーズンに暗雲が漂ったプレデターズは、序盤からカンファレンス最下位を争う低空飛行をした。オールスター後、トレード締切まで大きな動きはなく、シーズン最後までプレイオフ出場権を求めて戦った。腰の怪我で2シーズン休養していたスティーヴ・サリヴァンの復帰でチームは持ち直して一時はプレーオフ圏内まで上り、プレデターズは88ポイント獲得したが、カンファレンス10位となり、最終的にセントルイス・ブルースやアナハイム・ダックスに阻まれ、5年連続のプレーオフ進出はならなかった。 2009-10 サンノゼ・シャークスのフォワードのマーセル・Gocを獲得し、シーズン半ばに契約延長した。またモントリオール・カナディアンズのディフェンスであるフランシス・ブイヨンも獲得した。期待の新人コリン・ウイルソンを獲得したが、キャンプ中の足の付け根の怪我によりシーズン前半を欠場し、2009年11月、アメリカン・ホッケー・リーグのミルウォーキー・アドミナルズに送られた。2010年2月に復帰して15試合で11ポイント獲得し、最終的に35試合で15ポイントを獲得した。 2005年ドラフト最下位で入団したスウェーデン人で23歳のペイトリック・Hörnqvistはこのシーズンで活躍した。前年28試合中2ポイントしか獲得しなかったが、このシーズンでは30ポイントを獲得し、スティーヴ・サリヴァン、ポール・カリヤ、ジェイソン・アーノットに続きプレデターズ史上4番目の高得点となった。彼はしばしばゴール前におり、レッドウィングスのウインガーであるトーマス・ホームストロムと比較されることが多かった。 Hörnqvistのタイムリー・ゴールが続き、ゴールテンダーのペッカ・リネの素晴らしいプレイにより、若手選手の台頭やチーム力で勝利を積み重ね、シーズン終盤までにカンファレンス5位まで上り詰め最終戦でチーム史上3度目となる100ポイントに到達したが、最終的にカンファレンス7位でプレイオフに進出し、シカゴ・ブラックホークスと戦った。 プレーオフでは後の覇者となるブラックホークスと激突し、一回戦で後の覇者と対戦するのは2回連続である。4月16日にユナイテッド・センターで行われた初戦では4対1で勝利した。最初の4試合は2チーム共交互に勝利し2勝2敗となり5試合目はテレビで全米放送された。5試合目では残り1分3秒でブラックホークスのフォワードのマリアン・ホッサがプレデターズのディフェンダーのダン・ハムヒュイスを越して得点したが、4対3でプレデターズが勝っていた。その後パワー・プレイでブラックホークスのパトリック・ケインが得点し、オーバータイムにもつれ込んだ。オーバータイムではホッサが得点してブラックホーク スが勝利した。ブリヂストン・アリーナで行われた6試合目は5対3でプレデターズが負け、2勝4敗となった。ポスト・シーズンのパワー・プレイでは1回しか得点しなかった。 2010-11 ゼネラル・マネージャーのデイヴィッド・ポイルは主将ジェイソン・アーノットとニュージャージー・デビルスのウィンガーであるマシュウ・ハリシャックをトレードに出し、モントリオール・カナディアンズからフォワードのセルゲイ・Kostitsynを獲得し、ダン・ハムヒュイス、ダスティン・ボイド、ダン・エリスがフリー・エージェントとなり、フィラデルフィア・フライヤーズからライアン・ペアレントを呼び戻した。フリー・エージェントのジョナス・アンダーソンおよびスウェーデンのライナス・クレセンと契約した。またスイスのローマン・ジョシ、スウェーデンのアンダース・リンドバック、フィンランドのAtte Engrenなど海外から、また初の地元出身者としてナッシュビル近郊ブレントウッド生まれでホビー・ベイカー賞受賞者のブレイク・ジョフリョンを獲得した。7月2日、プレデターズはベテラン・フォワードのマシュウ・ロンバーディと3年間1,050万ドルで契約したことを発表した。 7月9日、プレデターズはディフェンスのシェイ・ウェバーが第5代主将となることを発表した。9月19日、ディフェンスのライアン・サターとフォワードのスティーヴ・サリヴァンが代替主将となることを発表した。フォワードのマイケル・サントレリをフロリダ・パンサーズにドラフト・ピックと引換でトレードに出した。またディフェンスのライアン・ペアレントとフォワードのジョナス・アンダーソンをバンクーバー・カナックスのシェーン・オブアイアンとフォワードの選手をトレードした。また、まだ若いディフェンスのアーロン・ジョンソン、ブレット・ペイリン、グラント・ルイスと契約した。他にフォワードのジェイミー・ランドマークとも契約した。2月11日、プレデターズはオタワ・セネターズの20点獲得を4回達成したプロ11年のベテランのマイク・フィッシャーを、2011年のドラフト1巡目指名権と2012年のコンディション・ピックと引換で獲得した。2月25日、ディフェンスコンディションの7巡目指名権と引換にアレキサンダー・サルツァーをフロリダ・パンサーズにトレードに出した。そしてフォワードのウエイド・ベラクをウェイバーに据えた。 2011年4月22日、ペッカ・リネがヴェジーナ賞 (最優秀ゴーリー) 投票で、キャプテンのウェバーがジェームス・ノリス記念賞 (最優秀ディフェンスマン) 投票で、ともに2位になるなどの活躍で、4度目の100ポイントこそ僅差で逃したものの、カンファレンス5位で、2年連続6度目のプレーオフ進出した。1回戦ではアナハイム・ダックスと対戦し、2011年4月24日、満席のブリヂストン・アリーナにおいて4勝2敗で、6度目にして初めてプレーオフ2回戦進出を果たした。 2回戦ではNHLランキング1位のバンクーバー・カナックスと対戦し、2勝4敗で敗退した。 試合結果以外でも成功しており、レギュラー・シーズンの16試合で、プレイオフでは6試合で完売した。 2011年8月31日、プレデターズに2008年に所属しファンにもとても人気のあった元トロント・メープルリーフス、フロリダ・パンサーズ、コロラド・アバランチ、カルガリー・フレームスのウエイド・バラクがカナダのオンタリオ州トロントのコンドミニアムで遺体として発見された。この夏、NHLのエンフォーサーで亡くなったのは計3名であった。2011-2012シーズンではヘルメットに追悼のステッカーを貼った。 2011年9月7日、ロシアにてロコモティフ・ヤロスラヴリが旅客機墜落事故に遭い、ホッケー界に激震が走った。犠牲者のうち3名がプレデターズと関連があった。カールリス・スクラスティンスは1998年から2003年に、ヨーゼフ・ヴァシチェックは2006年から2007年にプレデターズに所属していた。ロベルト・ディートリッヒはプレデターズのマイナーリーグであるミルウォーキー・アドミナルズに所属していた。 2011-12 2011年6月22日、シーズン前に新しいロゴとユニフォームを導入した。色合いは青、金、白と簡素化され、オレンジ、銀、鋼色は削除された。古いロゴが取り外され、ギターのピックやテネシー州の旗のデザインが取り入れられた新しいロゴが設置された。 2011年11月3日、ゴールテンダーのペッカ・リネと7年間4,900万ドルで契約した。これはプレデターズ史上最高の契約で、この年のNHLでのゴールテンダーで最高給となった。 2012年2月17日、ゼネラル・マネージャーのディヴィッド・ポイルは地元出身のブレイク・ジョフリョン、およびロバート・スレイニーをトレードに出し、2012年のドラフト2巡目指名のディフェンスのハル・ギルを獲得した。2月24日、フェイス・オフの名手ジャレッド・スミソンをフロリダ・パンサーズにトレードに出し、ドラフト指名権を得た。 2012年2月27日のNHLトレード締切日、プレデターズはアンドレイ・コスティシンをモントリオール・カナディアンズから、ポール・ゴースタッドをバッファロー・セイバーズから獲得した。プレデターズは結局ドラフト指名権を放棄した。 2012年3月19日、KHLで4年間活動していたロシアのフォワードのアレクサンドル・ラドゥーロフがプレデターズに復帰した。 2012年4月20日、スタンレーカップのプレイオフで2年連続2回目の2回戦に進出した。デトロイト・レッドウィングス相手に4勝1敗で勝ち越した。 2012年5月7日、カンファレンス準決勝において2年連続でフェニックス・コヨーテズに敗退した。 2012-13 2012年から2013年のNHLロックアウトにより試合数が限られ、プレデターズは2008-09シーズン以来初めてプレイオフを逃した。 2013-14 2年連続プレイオフを逃し、プレデターズは15年務めたヘッド・コーチのバリー・トロツを解任したが、別のポジションで球団に残ることを依頼した。2014年5月6日、プレデターズは新たなヘッド・コーチとしてピーター・ラヴィオレットが就任したことを発表した。トレード締切日、1998年から所属しており人気のあったデイヴィッド・レグウォンドをデトロイト・レッドウィングスにトレードに出した。 2014-15 ピーター・ラヴィオレットのヘッド・コーチとしての最初のシーズンで、セントラル・ディヴィジョンで2位となった。2015年4月のプレイオフでは1回戦で後の優勝者シカゴ・ブラックホークスと対戦し、ホーム・アドヴァンテージに関わらず6試合2勝4敗で敗退した。
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