ブーム期
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1976年に『ふたりと5人』が連載終了。『プレイコミック』連載の『やけくそ天使』、『チャンピオン』連載の『みだれモコ』『チョッキン』などに不条理・SFテイストを復活させはじめる。 1978年には『月刊OUT』(みのり書房)で初の特集記事「吾妻ひでおのメロウな世界」が組まれ、同年に創刊した『Peke』(同)などの漫画マニア向け新興誌に執筆する機会が増える。同年12月『別冊奇想天外No.6 SFマンガ大全集Part2』(奇想天外社)に執筆した『不条理日記』はSF小説のパロディをふんだんに用い、翌1979年の第18回日本SF大会の星雲賞コミック部門を受賞した。同年には自販機本『劇画アリス』(アリス出版)に『不条理日記』の続編を連載して、「不条理漫画」というジャンルの開拓者とみなされている。1979年から不条理・SF系の作品を収録した単行本が続々と刊行され、1980年には『ぱふ』『リュウ』で特集が組まれる。1981年には『奇想天外』臨時増刊として『吾妻ひでお大全集』が発売されるなどブームは最高潮に達した。その半面、1979年末までに一般少年・少女誌での連載がすべて終了、執筆の場は青年誌とマニア誌へ完全に移行した。この時期、大友克洋、いしかわじゅんとともに、SFマンガのニューウェーブ御三家と呼ばれた。 また1979年から沖由佳雄、蛭児神建らとともに日本初のロリコン同人誌『シベール』(無気力プロ)をコミックマーケットで販売。1980年からは川本耕次の依頼で自販機本『少女アリス』(アリス出版)に「純文学シリーズ」と題してロリコン漫画を発表する。これを嚆矢として、コミックマーケットではロリコン同人誌が大人気となる。当時、メジャー誌出身の漫画家が同人誌やエロ本に描くことはきわめて異例であった。メジャー誌出身の漫画家がポルノ誌に進出したことは周囲に衝撃を与え、吾妻は商業誌・同人誌ともに1980年代のロリコンブームの立役者とみなされている。 1977年から1979年にかけて『月刊プリンセス』(秋田書店)に連載された『オリンポスのポロン』は1982年に『おちゃ女神物語 コロコロポロン』としてアニメ化され、テレビアニメ放映と並行してコミカライズ版が『100てんコミック』に連載された。また1980年から1985年にかけて『ポップコーン』及び『ジャストコミック』に連載された『ななこSOS』も1983年にフジテレビ系列でアニメ化され、これが商業的には最も成功した作品となった。 1983年4月、『SF大会本』(虎馬書房刊)に発表した「冷たい汗」は、それまでのアニメ絵とは違った劇画的な絵で、その年のSF大会の様子を描いている。自分のホームグランドにすら違和感を覚え、声をかけられただけでギクリとしてしまう疲れ果てた作者の姿が描かれている。 1984年、連作『夜の魚』『笑わない魚』を『少年少女SFマンガ競作大全集』(東京三世社)に発表。「冷たい汗」の絵とも異なる暗い絵で、自分の生活をシュールリアリスティックに描いている。
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ブーム期
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「新世紀エヴァンゲリオン」の記事における「ブーム期」の解説
本作の最終回が衝撃的な形での幕切れとなったことは大きな話題となり、本放送終了後に再放送やビデオなどによる視聴を通じてファンが急増し社会現象にもなった。当時テレビ東京でアニメ部門プロデューサーを担当した東不可止によれば、1997年の劇場版公開前に実施された本作の再放送が深夜帯にかかわらず高い視聴率を記録し、この時間帯に放送されるテレビアニメの商業的価値が注目されるようになった結果、その後の深夜アニメの本格的な隆盛へと繋がったとされる。本放送終了後は系列外の放送局でも放映され始め、2009年夏には他系列の民放キー局である日本テレビと準キー局の読売テレビで放送、大阪府以外の近畿広域圏などテレビ東京のネットワークが存在しない地域にも放送が拡大した。 TVシリーズ放映終了直後の1996年4月に、最終2話は当初の脚本に沿った形でリメイクし、既に順次発売されていたVHSとLDでソフトとして発売すること、次いで最終2話のリメイクとは別の完全新作の劇場版の制作・公開が発表された。 このころには、サウンドトラック『NEON GENESIS EVANGELION III』が1996年6月3日付のオリコン週間アルバムチャートで、アニメ作品としては銀河鉄道999以来17年ぶりに第1位を獲得し、翌日のスポーツ新聞やテレビなどで大きく報道された。また、TVシリーズ各話を収めたVHS全15巻は、その全てがオリコン週間VHS総合チャートで2位以上となり、同じくTVシリーズ各話を収めたLD全14巻は、そのすべてがオリコン週間LD総合チャートで1位を記録した。 1996年11月1日に東京都内で開かれた記者会見で、1997年春にTVシリーズの総集編とリメイク版第25・26話をセットにした完結編『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』が、同年夏には完全新作の劇場版が公開されることが発表された。前売券発売開始日の1996年11月23日には、早朝からオリジナルテレホンカード付きの前売券を購入するファンが行列を作り、大きな話題を集めた。 しかし、劇場版の制作が大幅に遅れ、公開1か月前の1997年2月14日に緊急記者会見が開かれた。席上で、庵野秀明総監督が謝罪を行い、劇場版はTVシリーズの総集編とリメイク版第25話の制作途中の部分までの公開となった。また、同じく夏に公開が予定されていた「完全新作の劇場版」は幻の企画となってしまった。そして同年7月、完成したリメイク版第25・26話『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』が公開となった。TVシリーズ第弐拾四話以降の各登場人物らの行く末、人類補完計画の発動シーンなどが、より具体的に映像化される内容となり、TVシリーズから続いた物語は一旦の結末を迎えた。
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ブーム期(1940—1950年代)
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「コミック・ストリップのシンジケート配信」の記事における「ブーム期(1940—1950年代)」の解説
マーシャル・フィールド3世は1941年にシカゴ・サン・シンジケート(後にフィールド・ニュースペーパー・シンジケートに改名)を起業した。同社の配信作では『スティーヴ・キャニオン』がもっともよく知られている。 1940年代にレジスター・アンド・トリビューンが配信した『ザ・スピリット(英語版)』(ウィル・アイズナー作)は、新聞の日曜版に添付される16ページの付録冊子(一般に「スピリット・セクション」と呼ばれた)として連載されていた。この冊子は新聞用紙に印刷されたタブロイドサイズのコミックブックで、最終的に合計500万部に及ぶ20紙で連載された。 1930年代にユナイテッド・フィーチャーで働いていたロバート・M・ホールは第二次世界大戦の末期に自身のシンジケートを立ち上げた。ホールはすぐに『デビー・ディーン』、『マーク・トレイル(英語版)』、『ブルース・ジェントリー(英語版)』のような多彩なコミック・ストリップ作品や、ハーブロック(英語版)の風刺漫画を獲得した。ホール・シンジケートは1959年4月から『ファイファー(英語版)』を全米に配信し始めた。 タイムズ・ミラー(英語版)は1940年代後半にミラー・エンタープライズ・シンジケートを立ち上げた。同社は後にロサンゼルス・タイムス・シンジケート(英語版)に改名した。1979年から1984年にかけて配信した新聞漫画版『スター・ウォーズ(英語版)』で知られる。 1952年9月、ベル・マクルーアは老舗のマクルーア・ニュースペーパー・シンジケートを買収し、社長兼編集者にルイス・ラペルを任じた。
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