ジェームズ・フォード・ローズによるモリー・マグワイアズ論
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「モリー・マグワイアズ」の記事における「ジェームズ・フォード・ローズによるモリー・マグワイアズ論」の解説
モリー・マグワイアズについての記述の多くは、この地域で暴力が広く横行していたこと、自警団が活動していたこと、炭鉱労働者たちに「対して」暴力が振るわれていたことなどを、まったく認めようとしない時期に、あるいは、そのような時期の直後に記されたものである。 1910年、実業家で、歴史家でもあったジェームズ・フォード・ローズ (James Ford Rhodes) は、歴史学の一流専門誌『American Historical Review』に、(モリー・マグワイアズについて)重要な学術的分析を発表した。 モリー・マグワイアズの多くは炭鉱労働者であり、炭鉱では独特の方針に沿った仕事の様態が存在していた。炭鉱労働者は、立方ヤード単位、炭車単位、トン単位、(坑道を掘り進む場合には)進んだ分のヤード単位に応じて、賃金が支払われる。各自が掘る場所は、親方が割り当てるのだが、仕事には「ソフト」なものもあればハードなものもある。もし、ひとりのモリーがソフトな仕事に手を上げて断られたとすると、彼は怒り、彼に敵対した親方は殺害されることになりかねなかった。仕事に就けたときには、仕事量の量り方や、採炭できた石炭の品質の見定めをめぐって、常に食い違いが生じるおそれがあった。スレートや泥が多く含まれた質の悪い石炭を出すと、炭鉱労働者の賃金は削減されるのが決まりだったため、深刻な認識の不一致は、暴力沙汰のきっかけになりやすかった。こうした怒りを引き起こす原因はよく理解されていたので、炭鉱の親方たちがアイルランド人を雇わないことも当然あるのだが、その場合も安全が保証されるわけではなく、雇わなかったことが理由で殺害されることもありえた。どこの炭鉱でも、優れた監督は、効率よく働かせる親方を取り立てるという理由で、やはり標的とされることになった。モリー・マグワイアズについて同時代に研究していたジョン・T・モースJr. (John T. Morse, Jr.) は、モリーズのやり口を次のように生々しく説明している。「炭鉱の監督や、いわゆる親方たちは皆、地上で生きながらえる日々が長くないことを覚悟させられていた。どこでも、いつでも、彼らは襲撃され、殴られ、銃撃され、昼も夜も、毎月毎月、毎年毎年、公道上で、自宅で、ひとりでいるときも、近隣の人ごみにいるときも、この呪われた男たちは、暗殺者の手の下で恐怖を味わい続けなければならなかった。」 殺害は、誤った妄想に駆られた突発的な激情のまっただ中に行なわれるものではなく、周到に準備された結果であった。不当に扱われた個人は、擬似的な法廷で自分なりの理由を申し立てて、例えば炭鉱の親方に、死を与えるよう求める。その言い分が十分なものと認められると、実際にそうなることは多いのだが、殺害が決定される。ただし、その実行は申し立てた者自身や、その近所の者、また、殺される者の近所の者には委ねられない。もし直接の当事者が関わっていたなら、おそらくは必要以上の力や残虐さが加わることになったであろう。2人かそれ以上の、郡内の別の場所や隣の郡からやって来た、比較的関係の薄いモリーズが殺害の実行者に選ばれるのだが、彼らは犯行の場所では正体が知られていないので、追及を逃れやすかった。この秘密会議で決められた命令を拒むことは危険であり、命令拒否はめったに起きなかったが、適切に支持された場合には、実行者の代役を予め手配することも認められた。こうした会議は、宿屋なり酒場の上階の部屋で行なわれ、深刻な案件が処理された後には、親睦の場となり、ウィスキーがふんだんに振る舞われた。正確な数字をつかもうと試みると、この組織が1865年から1875年に引き起こした殺害事件の数を、一部の書き手たちが誇張していることが分かるが、一方では、残された証拠を詳細に検討すれば、大変な数の被害者たちがモリー・マグワイアズの復讐心を満たすために殺害されていたことは、誰の目にも明らかである。犠牲者の中には、有能な者、著名な者、敬愛されていた者もおり、その暗殺は末永く残る深い傷を地域社会に与えた。(大変有益な記事を残している)デューイーズ (Dewees) によれば、ときには殺人に加えて強盗も行なわれ、炭鉱労働者ら労働者の月給を運んでいた監督たちが、寂しい田舎道で待ち伏せされることもあったという。殺人事件は多かったが、それ以上に多かったのが殺人を予告し、棺桶か拳銃、時にはその両方の絵を鉛筆で書きなぐった紙片によって、他所へ立ち去るよう警告する脅迫であった。ある告知文には、「ジョン・テイラー殿 — 1週間の時間を差し上げるが、もし次の土曜日にまだご健在なら、そこで死んでいただく」と記されていた。また別の、「部下を欺いた」とされた3人の親方たちに宛てられた告知文には、3丁の拳銃と棺桶が描かれ、棺桶には「ここがお前の家だ」と記されていた。他の炭鉱地域や、工業が盛んだった場所でも、ストライキの時期や混乱が続いた時期には、同じような脅迫が日常茶飯事だったが、それは親方や監督、経営者たちが一笑に付すようなものであった。しかし、1865年から1876年にかけての時期、この無煙炭地域においては、最も勇敢な男たちであっても、何人もの仲間が銃撃されてきたことを忘れることはできなかったし、自宅の入口や炭鉱事務所の郵便受けにこうしたメッセージを見つければ、不安を抑えることはできなかった。多くの監督や親方は、朝、拳銃を手に家を出て、再び妻子に会えるだろうかと思いをめぐらした。 殺人の実行者には組織の若者が選ばれたが、その上には年長の者が指導的な地位を占め、様々な形で、手腕を見せた。普通選挙権が自分たちにとって大きな武器となることを見抜いた指導者たちは、わが国でアイルランド系の人々が発揮している政治的才覚をもって、自分たちの組織を、無視できない政治勢力へと発展させた。総人口11万6千人のスクールキル郡で5千人いたアイルランド系のうち、モリー・マグワイアズは500人か600人しかいなかったが、公立小学校や、郡内の炭鉱地区の町の行政を支配していた。彼らは、時期は異なるが、合わせて3人の郡政委員を当選させ、刑事上級裁判所(the Court of Oyer and Terminer)の陪席裁判官の選挙では、2万ドル相当の資産家だった仲間のひとりを、もう少しで当選というところまで押し上げた。ある地区ではモリーが警察署長になっており、マハノイ郡区 (Mahanoy Township) ではジャック・キーホー (Jack Kehoe) が治安責任者 (High Constable) であった。こうした選挙では、不正投票、投票箱の中身の操作、集計結果の改ざんなどが行なわれ、また公職にあっては不正や横領が横行した。マハノイ郡区では6万ドルが学校運営のためとして引き出され、その12分の11が盗まれた。法外な道路税は、郡区の役職者が納税者から金を奪って私腹を肥やす絶好の手段となっていた。1875年8月には、元郡政委員だったモリーが、モリーズの構成員ではないが同調者だった当時の郡政委員2人とともに、郡の公金を横領したとして、大法廷で裁かれ、それぞれ2年の懲役に処された(9月6日付)。この年(1875年)の州知事選挙で、元々民主党支持であるモリー・マグワイアズは、共和党の勝利を予見し、一定の金額の資金提供と、モリーズの指導者が「うちの身内」と呼ぶ有罪判決を受けた元郡政委員たちへの恩赦を条件に、スクールキル郡とルザーン郡の組織票を共和党に売り渡した。この取引に関わった共和党の政治家が、モリー・マグワイアズが完全に犯罪的な組織であることを認識していたとは考えにくい。抜け目のないモリーズは、州議会から1871年に認可を受けた、「友情、統一、キリスト教に基づく慈善」を標語とする古ヒベルニア騎士団という、聖人ぶった外套をまとっていたからである。1875年10月10日、ジャック・キーホーは、シェナンドーの『Herald』紙に手紙を寄せ、モリー・マグワイアズと古ヒベルニア騎士団を同じものとする見方に憤慨しながら、これを否定し、後者は「法を遵守し、メンバーの向上を求める人々から構成されている」と述べている。キーホーは巧妙にも、公衆に目くらましを投じておく利を心得ていた。組織の外と交渉するときには、A.O.H.が前に出されたのである。 しかし、実際には、これは羊の皮を被る狼という古い話だったのである — James Ford Rhodes、History of the United States from Hayes to McKinley 1877 - 1896 Volume 8 of the series History of the United States of America, From the Compromise of 1850 to the McKinley-Bryan Campaign of 1896 published October, 1919, The Macmillian Company, New York. Chapter II, pp 52 - 58
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