ジェームズ・ビドルの来航と開国の要求(1846年)
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「幕末の砲艦外交」の記事における「ジェームズ・ビドルの来航と開国の要求(1846年)」の解説
米国はアヘン戦争後に清と望厦条約を結ぶことに成功した。国務長官のジョン・カルフーンは公使として清に滞在していたケイレブ・クッシングに対し、日本との外交折衝を開始する旨の指令を与え、その指令書を東インド艦隊司令官に任命されたジェームズ・ビドルが清まで運んだ。しかし、クッシングはすでに帰国した後であり。また、彼の後任であるアレクサンダー・エバレット (Alexander H. Everett) は、日本への航海に耐えうる健康状態では無かった。このため、ビドルは自身で日本との交渉を行うことを決意した。1846年7月7日、ビドルは戦列艦・コロンバスおよび戦闘スループ・ビンセンスを率いて、日本に向かってマカオを出港し、7月19日(弘化3年閏5月26日)に浦賀に入港した。直ちに日本の船が両艦を取り囲み、上陸は許されなかった。ビドルは望厦条約と同様の条約を日本と締結したい旨を伝えた。幕府からの回答は、オランダ以外との通商行わず、また外交関係の全て長崎で行うため、そちらに回航して欲しいというものであった。ビドルは「辛抱強く、敵愾心や米国への不信感を煽ること無く」交渉することが求められていたため、それ以上の交渉を中止し、7月29日(6月7日)、両艦は浦賀を出港した。なお、ビドルが来訪するであろうことは、その年のオランダ風説書にて日本側には知らされていた。 艦名艦種建造年トン数乗組員機関出力備砲コロンバスColombus 帆走戦列艦 1819 積載量2480トン(bmトン) 780 無 32ポンド砲x6842ポンドカロネード砲x24 ビンセンスVincence 帆走スループ 1826 積載量700トン(bmトン) 80 無 32ポンド砲x18
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