ジェームズ・ビドルの来航と開国の要求とは? わかりやすく解説

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ジェームズ・ビドルの来航と開国の要求(1846年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 00:53 UTC 版)

幕末の砲艦外交」の記事における「ジェームズ・ビドルの来航と開国の要求(1846年)」の解説

米国アヘン戦争後に清と望厦条約を結ぶことに成功した国務長官ジョン・カルフーン公使として清に滞在していたケイレブ・クッシング対し日本との外交折衝開始する旨の指令与え、その指令書東インド艦隊司令官任命されジェームズ・ビドルが清まで運んだ。しかし、クッシングはすでに帰国した後であり。また、彼の後任であるアレクサンダー・エバレット (Alexander H. Everett) は、日本への航海耐えうる健康状態では無かったこのためビドル自身日本との交渉を行うことを決意した1846年7月7日ビドル戦列艦コロンバスおよび戦闘スループ・ビンセンスを率いて日本向かってマカオ出港し7月19日弘化3年5月26日)に浦賀入港した直ち日本の船が両艦を取り囲み上陸許されなかった。ビドル望厦条約同様の条約日本締結したい旨を伝えた幕府からの回答は、オランダ以外との通商行わず、また外交関係全て長崎で行うため、そちらに回航して欲しいというものであったビドルは「辛抱強く敵愾心米国へ不信感煽ると無く交渉することが求められていたため、それ以上交渉中止し7月29日6月7日)、両艦は浦賀出港した。なお、ビドル来訪するであろうことは、その年のオランダ風説書にて日本側には知らされていた。 艦名艦種建造トン数乗組員機関出力備砲コロンバスColombus 帆走戦列艦 1819 積載量2480トンbmトン78032ポンド砲x6842ポンドカロネード砲x24 ビンセンスVincence 帆走スループ 1826 積載量700トンbmトン8032ポンドx18

※この「ジェームズ・ビドルの来航と開国の要求(1846年)」の解説は、「幕末の砲艦外交」の解説の一部です。
「ジェームズ・ビドルの来航と開国の要求(1846年)」を含む「幕末の砲艦外交」の記事については、「幕末の砲艦外交」の概要を参照ください。

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