ゴシック美術とは? わかりやすく解説

ゴシック美術

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 18:17 UTC 版)

西洋美術史」の記事における「ゴシック美術」の解説

詳細は「ゴシック美術」を参照ゴシック」、「ゴシック建築」、および「ゴシック様式」も参照 ロマネスク美術延長線上に位置付けられるゴシック美術は12世紀半ばごろより始まり人間的写実的な表現特徴とし、ロマネスク美術象徴的抽象的な表現とは対照的な様相呈している。この変革背景には社会環境変化大きな影響与えた考えられている。前時代修道士聖職者など、限られた人々文化担い手であったのに対し裕福な市民層や大学拠点とする知識人などの台頭によってその範囲拡大していったことが、美術性格変革させた一つ要因となっている。 こうした精神如実に物語っているのが建築分野であり、その先鞭はシュジェールによって行われた1144年サン=ドニ大聖堂改修工事である。シュジェール信仰を導く手段として「光」の重要性謳い尖頭アーチ用いた肋骨交差穹窿ステンドグラス嵌め込んだ大窓を組織的に活用することで、新し建築意匠創出した。この動きはすぐにサンスサンリスパリランなどフランス周辺都市伝播し、同様の意匠保持する大聖堂相次いで建立された。さらにはフランス人工匠の手によって国外へ波及しイギリスカンタベリー大聖堂など、新規建築改修時にゴシック建築様式取り入れたものが登場している。また、ロマネスク建築重厚な石造天井重量的な問題から、自ずと「高さ」に対して限界見えるようになり、これを解消することを目的とした建築方式誕生し広く受け入れられることは必然であったとも言える装飾彫刻こうした動き連動し円柱人像などの新し要素誕生した。これによって古来以降途絶していた塑像性が復活し、自然な丸み帯びた人像表現へと発展していく嚆矢となったまた、個々彫像採用したモチーフ連関させ、全体として合理性持たせるといったことも試行されている。こうした特徴もつ装飾彫刻代表的なものとしては、シャルトル大聖堂の「王の扉口」(西側正門)などが挙げられる連関思想は、次第金属細工彩色写本といった小型美術品にも傾向として現出するようになった12世紀に入るとゴシック建築採用した聖堂建立本格化しはじめ内部空間構成建造物見事な調和見られるようになったブルージュシャルトルランスアミアンボーヴェといったフランス各地大聖堂イギリスソールズベリー大聖堂ケルンのザンクト・ペーター大聖堂など壮大な聖堂各地建設されている。特に、世界遺産にも指定されているアミアンノートルダム大聖堂は、その全長145メートルにも及ぶ巨大な聖堂である。また、物理的制約から解放されたことで、塔や穹窿は高さに対して追求なされるようになった並行して円柱人像の技法発展し13世紀に入ると扉口浮彫から丸彫像への移行見られるようになった同時にゴシック彫刻特長とも言えるS字型に捻った姿態柔和な相貌流麗な衣襞といった表現確立し古典主義的な思想孕んだ作品数多く制作された。さらには14世紀初頭ドイツ制作されピエタ彫像のような凄惨な場面主題とした彫刻作品登場し表現領域拡張大きな足跡残したまた、色彩芸術分野ではステンドグラスによる主題表現代表的で、シャルトル大聖堂の「美しきステンドグラス聖母」など、12世紀から13世紀にかけて制作され傑作多数残されている。写本絵画では個人向け聖書詩篇集の制作フランスイギリス活発化し、多く写本画家パリ拠点活動行っている。中でもベルヴィル家の聖務日課書』を制作したジャン・ピュセル(英語版)は、フランス優雅な人物表現とイタリア空間表現融合させ、パリ派写本呼ばれる写本新し基準様式確立させたことで知られるイタリアでビザンティン美術影響根強く、ゴシック美術の浸透遅れていたが、ヤコポ・トリーティ(英語版)やピエトロ・カヴァリーニといった大構図壁画家によってビザンティン美術からの脱却図られるようになり、これを継承したチマブーエジョット・ディ・ボンドーネシモーネ・マルティーニといった画家たちによって段階的に成し遂げられ後世におけるルネサンスの礎が築かれた。こうした画家登場した時代切り出してプロト・ルネッサンス時代呼称する場合もある。 14世紀に入ると教会分裂黒死病大流行加えて百年戦争影響によって大規模な建築造営見られなくなった取って代わるように王侯貴族邸宅都市公共施設といった世俗的な実用建築が行われるようになり、用途地域即した分極化進行した14世紀後半には骨組構造複雑化し、装飾的に入り組んだ肋骨構造曲線絡み合わせた狭間造りといった特徴見られるうになるルーアンノートルダム大聖堂はこの時代代表的な作例と言えるまた、絵画14世紀後半から芸術において主導的な立場昇華した西欧各地宮廷展開され絵画芸術国際ゴシック様式呼ばれアヴィニョン興ったシエナ派流れを汲む自然観察に基づく正確な細部描写豪奢な宮廷趣味特徴としている。イタリアピサネロ国際ゴシック様式代表的な画家であり、『エステ家姫君肖像』など、幻想性豊かな作品制作している。フランスではパリブルージュアンジェディジョンなどで国際ゴシック様式開花し1355年頃に描かれとされるフランス国王ジャン善良王の肖像』は俗人描いた単身肖像画としては最古のものとして知られている。ディジョンにはフランドル出身画家工人多く住み着きメルキオール・ブルーデルラム、ジャン・マヌエル、アンリ・ベルショーズといった宮廷画家フランコフラマン派の作品数多く生み出した。 その他、装飾写本分野ではネーデルラント出身写実的な自然描写精妙装飾性有した写本制作を得意とするランブール兄弟知られており、『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』はこの時代写本芸術最高峰とされている。ランブール兄弟作品15世紀パリ派写本工房大きな影響与えた

※この「ゴシック美術」の解説は、「西洋美術史」の解説の一部です。
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