きみまろの漫談スタイル・傾向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 04:09 UTC 版)
「綾小路きみまろ」の記事における「きみまろの漫談スタイル・傾向」の解説
きみまろのステージ上のファッションはカツラと扇子、それに背広に燕尾服。 入場の挨拶では「ようこそいらっしゃいました、御元気でしょうか」。また、「気力の無い拍手を頂き、誠に有難うございます」と挨拶する事もある。 『たけしの誰でもピカソ』に出演した際、ビートたけしもきみまろも全く売れない苦しい時期に同じ舞台に出演していた縁があり、楽屋では懐かしい感激の対面を果たした。「きみまろさんってあの時のきみまろさん…」とたけしが語りかけ、お互い先の見えない苦しい時期を思い出したのか感極まって涙を流し合い肩を抱き合うほどだった。その後のネタを収録する時にも感情が高まり途中声が出なくなる場面があった。 ライブの始まりでは、特に女性客に対して「綺麗ですね」と褒めちぎった後、「私は女性を見る目が無いのです」とオチをつける。 きみまろを語る上で欠かせないのが、「あれから40年」のフレーズである。 老化現象、高齢化社会、物忘れ、アルツハイマー、痴呆症、カツラを引き合いにしたフレーズが多い。また、中高年以降の夫婦の確執をネタにする事もある。 内容が少し度を超えてしまった時は「私も人の事をどうこう言える顔ではありません」とフォローしている。本人によると、「毒舌と言っても言いっ放しでは客に迷惑を掛けてしまいかねない」との事。 「上になったり下になったりする」などの性的表現もある。 また、きみまろのネタには前述の通り、「クソジジイ」「クソババア」と言うセリフは一切使用されていない。例外として、「自転車をこいでいた中高年の女性が、後ろから来たトラックの運転手に『コラー、クソババア!』と怒鳴られる」という小話があるが、これもきみまろから観客に向けられた言葉ではない。 きみまろ自身、ライブの客は50代以上の中高年がほとんどである事から「ジジイ、ババアの養殖場」と形容している。また、客の事を「昭和枯れすすきの皆さん」と表現する事もある。きみまろのライブにはきみまろよりも遥かに年長の70歳以上の高齢者が来ている事も珍しくなく、彼らに対しても情け容赦の無いフレーズを掛ける事も少なくない。会場によっては「敬老の日よりも高齢者が多い」との事。また、きみまろのライブの客には90歳以上の所謂「超高齢者」が来る事もあり、ライブの音源の中できみまろが相当年老いた客に年齢を尋ねた所、「93歳」と回答された事もある。最近のパターンとしては40代後半や50代を「中高年予備軍」と形容する事がある。 実際の身長は165cmだが、ネタの中では「179cm」としている。 ライブでは自分の事を「ウィリアム」と称している。また、「潜伏期間30年」のフレーズも多用している。自身が自称している潜伏期間とは1969年頃から1999年頃までの期間とする説や、1972年頃から2002年頃までとしている説がある[要出典]。 ライブでの一人称は主に「私」であるが、時折「きみまろ」と言う事もある。 きみまろにとって、「避けて通れない事」は2つあり、それは「呼ばれないと来られない事」「客を選べない事」。 ライブは地方で行われる事が多い為、例えば、東北地方から最終の新幹線で東京に戻った後、東京駅前のホテルに泊まり、翌朝西日本方面に向かうというスケジュールも多い。しかしその一方、千葉・神奈川・静岡・茨城・埼玉等の関東近県のライブや東京キー局でテレビの収録があった時は日帰り出来る為、自宅で妻と食事をする事が出来ると言う。 新ネタの考案は夜寝る布団の中でする事が多く、ベッドの隅にはメモ帳(本人曰く「ネタ帳」)と筆記用具が据え置かれている。また、自宅で趣味の農作業の合間にもネタの発声練習をする事もある。 最後は必ず「一言多かった事を心からお詫び申し上げます」と締めくくる。 きみまろの初代のCDでは、1トラックのみで約44分も収録されていたが、それ以降はいくつかのトラックに分割している。 きみまろの漫談はCD・カセットの2セットで販売されている。また、CD・カセット共に「ライブでの公演を基に録音されていますので、聞き苦しい部分がある事をお許し下さい」の断りがある。収録時間は何れの作品も約40分。2010年元旦に発売されたCDではテープ音源のきみまろの漫談が約20分の2セットで収録されている。 「きみまろトランス」では、トランスの楽曲では珍しく、カセットも販売されている。 ステージやホールのみならず、老人ホームや刑務所、果ては暴力団の事務所でライブをした事もある。 きみまろの第1集のCDの演目「中高年に愛を込めて…」は2000年年末に東京・新宿にある新宿末広亭のホールで初披露され、翌年2001年初頭にある演芸場近くの鰻料理専門店にて師匠と面接して許可を得た事で落語家デビューしている。 CD販売に関しては当初、きみまろはあまり乗り気では無かったが、カセットテープに録音しただけでは本人の名前が歴史に残せない事、そしてきみまろの漫談は中高年がほとんどである事からCDで聴いている世代にも是非きみまろの漫談を聞いて欲しいといった事から、CD販売に踏み切った経緯がある。 「きみまろの漫談を聴いて年老いた家族の病気が良くなった」との評価を受けたこともアリ、きみまろの漫談は老化防止や病気の進行の歯止めには殊の外適しているとされている。 2007年頃に海外進出を果たし、第3集のCDのかなり後の部分でニューヨークで自身のライブを開いていた事のフレーズが収録されている。 2008年初頭に発売された第3集のCDでは、きみまろの第1集のCDが160万枚と、予想以上の売れ行きを示した事を公表したフレーズが収録されている。本人曰く「見た事も無い税金を払った」との事。 2010年元日に発売されたCDでは、きみまろが1990年代にサービスエリアで自作のテープを配布していた物の2セットをそのまま収録している。また、この作品は1990年代の音源をそのまま収録している事から、「痴呆症」等のフレーズは一切差し替えられていない。ジャケットの表紙裏にはきみまろのこれまでの半生と経歴、そしてきみまろのスナップ写真の数々が掲載されている。 2009年からバスツアーで漫談する機会が増え、観光する体力が無いという理由でバスツアー後はホテルへ直行し、ホテルの一室に籠もりつつ当日録音した自身の漫談を聴いては反省し改良・新ネタ作成を積み重ねている。 本人によると、「痛風の持病がある中でもスケジュールは数年先までぎっしり埋まっている」との事。前述の通り、痛風持ちの中でも痛み止め等の投薬治療をする事で痛風持ちの体にムチ打って乗り切っている。 NHK『クローズアップ現代』で彼の漫談スタイルについて取り上げられた事もある。この時頻繁に取り上げるネタとして語られた事として「冷え切った夫婦関係(35%)」「容貌の衰え(32%)」「死や病気(28%)」があるが、その事を司会の国谷裕子が真面目な顔で語っている姿が話題を呼んだ。なお、この日の放送の後半では毒蝮三太夫とアナウンサーが対談している。
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