「野党共闘」と「国民連合政府」構想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 09:22 UTC 版)
「日本共産党」の記事における「「野党共闘」と「国民連合政府」構想」の解説
詳細は「民共共闘」を参照 2015年夏から秋にかけての平和安全法制の審議では反自民の政党による反対運動を主導し、民主党、維新の党、社民党、生活の党(現・自由党)の4党と連携を深める。同法案の審議を境目に、共産党は従来の「独り勝ち」方針を改め、安保法制廃止の一点での連立政権を樹立するために選挙協力を行うことを提案した。かつての民主連合政府構想における共産党との政策や価値観の共有よりもハードルを下げた提案であり、社民、生活両党は賛意を示したが、身内に保守系議員を抱える民主党は難色を示した。共産党は民主党の反対を受けて、連立政権の案件を凍結、翌年の参院選での野党5党の選挙協力を行なうこととなった。また、2016年2月20日には、社民党の第15回全国大会に志位が来賓として出席。共産党の出席は、前身の社会党時代を含め史上初となった。また、大阪府では、大阪都構想を推進する大阪維新の会と対決するために自民党との共闘(自共共闘)も辞さない姿勢を見せている。 2016年の主要選挙には、概ね野党5党(3月に民主、維新両党が合併して民進党となってからは4党)の連携体制で臨んだ。まず衆議院北海道5区補欠選挙(4月24日投開票)では、先に決定していた共産党候補の立候補を取り下げ、民進系の池田真紀を、共産・民進・社民・生活推薦の無所属候補として擁立。自民党公認で公明党らが支援の和田義明との一騎討ちとなり、前評判と較べて健闘したものの約12,000票差・惜敗率90.92%で落選した。一方、同日行われた京都3区の補欠選挙では、この野党共闘を優先する形で候補者の擁立を見送った。ただし民進党公認候補を含め、他の候補の支援・推薦には回らず、自主投票とした。 第24回参院選(7月10日投開票)では、参議院一人区での統一候補の擁立作業が進んだ。結果、共産党は発表していた一人区の候補者擁立を取り止め(香川県選挙区を除く)、全員を比例区に回す措置をとった。選挙の結果、東京選挙区で1議席を獲得し、比例の5議席と合わせて6議席を獲得。非改選の8議席と合計して14議席となった。比例票は601万6195(得票率10.74%)となり、参院選としては1998年の第18回通常選挙以来、18年ぶりの10%越えを達成した。 参院選直後の東京都知事選挙(7月31日投開票)でも野党統一候補として鳥越俊太郎を擁立、支援したが、選挙の告示直前の出馬(いわゆる「後出しジャンケン」)だったこともあり、準備不足も相まって3位に終わった。 衆院補選(10月23日投開票)でも、福岡6区・東京10区ともに一旦は独自候補を擁立していたが、4野党協議の結果これを取り下げ、統一候補の支援に回った。しかし結果は、ともに与党系候補(福岡6区は無所属候補が当選後に自民の追加公認を受ける)に敗れた。 この間の活動について、公安調査庁は内外情勢の回顧と展望(平成28年度版)で、日本共産党が平和安全法制関連法案を「戦争法案」などと呼び、国会周辺の抗議活動に、委員長や所属議員を参加させていると報告している。2015年7月の「安倍政権NO!0724首相官邸包囲」、8月の「国会10万人・全国100万人大行動」、9月の「国会正門前行動」などの運動へ参加し盛り上げを図った。共産党による「国民連合政府」構想は、55年前の政府構想と同様であると評し、「共産党が今回の構想の先に見据えるのは,「民主連合政府」による「民主主義革命」を経て「社会主義をめざす権力」 を作り,最終的に「社会主義・共産主義の社会」を実現することである。同党が,こうした綱領路線を堅持する「革命政党」(6 月の幹部会決議)であることに変わりはない。」としている。 また、公安調査庁発刊資料である内外情勢の回顧と展望の平成29年度版について、照屋寛徳が、「内外情勢の回顧と展望」六十二頁には、「沖縄県民大会」に「全国から党員や活動家らを動員した」との記述があるが、具体的にどの政党を指しているのか、当該政党の名称を全て列挙した上で、「動員した」と断定する根拠について政府の見解を示されたい。」と質問。首相安倍晋三は、「「沖縄県民大会」に「全国から党員・・・を動員した」と記述された政党は、日本共産党であると承知している」と回答している。 東京都議会議員選挙(2017年7月2日投開票)では、37人の公認候補を擁立、4人の候補を推薦、支持(うち1人は東京・生活者ネットワーク所属)して戦った。選挙戦では自公両党のみならず、小池百合子知事が与党として結成した都民ファーストの会との差別化も強調して反小池票を吸収、2議席増の19議席を獲得した。 次期総選挙も4野党共闘の方針であったが、民進党では保守系の議員を中心に連携に否定的な議員も多く、9月1日の党代表選では保守系の前原誠司が当選する。しかし以降も保守系議員を中心に民進党からの離党が相次いだ。解散直前の9月25日、小池百合子(東京都知事)が自身に近い議員をメンバーに希望の党を結党すると、前原は28日の常任幹事会の了承を得て、希望の党との合流の交渉を始める。そして衆議院解散当日の9月28日、希望の党への事実上の合流方針が両院議員総会で了承されるに至り、志位は希望の党を「自民党の補完勢力」と非難するとともに、原則全選挙区での擁立方針に戻すことを表明し民進・共産両党の共闘は破綻した。また、自由党も小沢一郎代表が「自公連立政権に対抗する野党勢力の結集」を理由に、希望の党に合流する意思を示し、4党共闘の枠組みから事実上離脱する。 一方、9月29日、共産党書記局長の小池晃と社民党幹事長の又市征治が衆院選での選挙協力について協議し、11都府県20選挙区で候補者を一本化することで合意している。 その後、政策の不一致などを理由に希望の党との合流を拒否した民進党出身のリベラル系メンバーが中心となって10月2日に「立憲民主党」(枝野幸男代表)が結成され、共産・社民両党は歓迎するコメントを送り、第48回衆議院議員総選挙(10月22日投開票)において3党共闘となった。 10月5日、全国に先駆け北海道で、立憲民主・共産・社民の3党の地元組織が共闘に合意。道内の全12選挙区において統一候補を擁立。民進から立憲民主に参加する8人全員が統一候補になり、当該8選挙区では共産が立候補を取り下げる一方、立憲民主の「空白区」である4選挙区は共産が候補者を出すことになる。北海道以外の地域でも立憲民主党、共産党、社民党、希望の党に参加しないことを表明した野党系無所属に候補を一本化し共産党は67選挙区で独自候補を取り下げた。公示ギリギリまで調整が行われ反安倍・反小池の統一候補が249の選挙区で成立した。 選挙結果は、立憲民主党と希望の党の新党の間に埋没する形となり、公示前勢力から半減に近い12議席の惨敗に終わる。この結果を受け志位委員長は「『比例は共産』という激励をたくさんいただいた。結果に結びつけることができなかったのは、私たちの力不足だ。捲土重来を期したい」とコメント。また、野党第一党に躍進した立憲民主党について「共闘勢力全体として議席を伸ばすことできたことは大きな喜び」と述べた。
※この「「野党共闘」と「国民連合政府」構想」の解説は、「日本共産党」の解説の一部です。
「「野党共闘」と「国民連合政府」構想」を含む「日本共産党」の記事については、「日本共産党」の概要を参照ください。
- 「野党共闘」と「国民連合政府」構想のページへのリンク