飛鳥寺
注釈
- ^ 古代の寺院には山号はなく、山号は後世付けられたものである。なお「鳥形山」は寺の北東、飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)のある山を指す。
- ^ 用明天皇2年(587年)の蘇我馬子による建立発願の記事では「法興寺」、推古天皇14年(606年)の丈六仏完成の記事では「元興寺」と表記され、壬申の乱のあった天武天皇元年(672年)の記事中には「飛鳥寺北路」「飛鳥寺西槻」の表記がみられる。
- ^ 「露盤」とは塔婆の屋根上にある相輪の基礎部分を指すが、古くは相輪全体を指して露盤といった。
- ^ 「丈六光」は「丈六(一丈六尺)の仏像の光背」の意味。一丈六尺は約4.8メートルで、坐像の場合はその半分の法量を指す。詳細は法量参照。
- ^ 『元興寺縁起』本文及び「露盤銘」にも百済からの技術者派遣についての言及があるが、技術者の人数はそれぞれ異なっている。
- ^ 井上光貞監訳、佐伯有清・笹山晴生 訳『日本書紀II』中央公論新社〈中公クラシックス〉、2003年。ISBN 4121600584。"この歳、百済国は、使と、僧
恵総 ・令斤 ・惠𥦽 らとを遣わし、仏の舍利を献上した。百済国は、恩率 首信 ・徳率 蓋文 ・那率 福富味身 らを遣わして調をたてまつり、あわせて仏の舎利と、僧聆照律師 ・令威 ・恵衆 (恵総と同一人か)・恵宿 (惠𥦽と同一人か)・道厳 ・令開 (令斤と同一人か)ら、それに寺工 (寺院建築の技術者)太良未太 ・文賈古子 、鑪盤博士 (仏塔の相輪部分の鋳造技術者)将徳 白昧淳、瓦博士 麻奈文奴 ・陽貴文 ・㥄貴文 ・昔麻帝弥 、画工 白加を献上した"。
出典
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- ^ 浅井 (1999) p.10
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- ^ 吉田一彦 2003, p. 346-307.
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- ^ 大脇 1989, p. 7.
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- ^ 竹内亮「大寺制の成立と都城」『日本古代の寺院と社会』(塙書房、2016年) ISBN 978-4-8273-1280-5
- ^ a b 本郷真紹「古代寺院と学僧」、根本誠二 他編『奈良平安時代の〈知〉の相関』(岩田書院、2015年) ISBN 978-4-87294-889-9
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- ^ 竜山石は長いあいだ凝灰岩だと言われていたが、近年の研究で水中自破砕溶岩(ハイアロクラスタイト)であると特定された。
- ^ 大脇 1989, p. 54-56.
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- ^ http://npokokusaibunnkazai.web.fc2.com/04.html 諫早直人「舎利荘厳具から見た飛鳥寺と王興寺」(講座資料(特に資料3)、2017年2月17日、於大阪韓国文化院)、NPO法人国際文化財研究センターサイト
- ^ 飛鳥資料館第一展示室展示品目録
- ^ 「飛鳥寺の塔跡から真珠 仏教の七宝、創建時埋める」(産経新聞2017年7月6日)」
- ^ 田村朋美「005 飛鳥寺塔心礎に埋納された真珠小玉」『奈文研ニュース : 奈文研ニュース』第63号、国立文化財機構奈良文化財研究所、2016年12月、6頁、doi:10.24484/sitereports.18960-13251、NAID 120005905799。
- ^ 京都国立博物館:学叢ホームページ版第16号(1994/3/31)森郁夫(1994), 「わが国における初期寺院の成立」『学叢』 16号 p.22
- ^ 奈良国立文化財研究所: 学報第5冊(1958年)『飛鳥寺発掘調査報告書』p.36
- ^ 納谷守幸「軒丸瓦製作手法の変遷 - 飛鳥地域出土の7世紀前半代の資料を中心として -」 (PDF) 『明日香村文化財調査研究紀要』第4号、明日香村教育委員会、2004/12
- ^ 銅造釈迦如来坐像(本堂安置) - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 飛鳥寺跡 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
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