たけしま【竹島】
竹島(たけしま)
日韓双方の大陸棚とはつながっていない岩礁からなる火山島で、日常的に人が住むことはできない。日本では竹島、韓国では独島(トクト)の名称で呼ばれている。
1905年、明治政府は竹島を島根県に編入した。1910年の日韓併合を含め、日本政府が大陸に進出していく契機となった経緯がある。終戦後の1945年には、GHQは日本に竹島の領有権を認めず、法的位置づけがあいまいのまま今日に至っている。
現在、日本政府と韓国政府の双方が領有権を主張している。竹島の領有権争いに決着がつかないことから、排他的経済水域(EEZ)の境界線が確定していない。
島根県は2005年、毎年2月22日を「竹島の日」とする条例を制定した。この動きに反発した韓国政府は竹島に一般観光客を上陸させるなどし、一時、日韓関係が緊迫化した。
現在は、竹島周辺の海底地形に日本側が提案した名称が国際的に使われている。韓国は6月の国際会議で海底地名の変更を提案する動きを見せていたが、日本政府は独自に竹島周辺での測量調査を進めるなど衝突していた。
2006年4月22日の日韓外務次官会談で、韓国が海底地名の変更提案を行わない一方、日本側も測量調査を中止することで合意した。
(2006.04.24掲載)
竹島
竹島
竹島
竹島
竹島
竹島
竹島
竹島
竹島
竹島
竹島
竹島
竹島
竹島
読み方:タケシマ(takeshima), タケジマ(takejima)
別名 松島(マツシマ)、リアンクール岩(リアンクールガン)、リャンコ島(リャンコトウ)、ホルネット群島(ホルネットグントウ)、独島(トクド)
竹島
竹島
竹島
竹島
竹島
竹島
竹島
竹島
竹島
竹島
竹島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 07:18 UTC 版)
詳細は「竹島問題」を参照 韓国政府はサンフランシスコ講和条約で日本の放棄領土に竹島を含めようと米国務省に要請したが拒否された。講和条約で竹島を放棄させることに失敗した韓国政府は、サンフランシスコ講和条約署名後の1951年9月8日 に初めてSCAPIN677に基づく竹島の主権主張を行った。これ以降、韓国政府はSCAPIN677をその領有の根拠の柱としている。 韓国のSCAPIN677に基づく主張に対して1952年11月14日に米国務省は駐韓米大使に「SCAPIN677は、日本の永続的な主権の行使を排除したものではない」とした。併せてラスク書簡に関する情報も得た駐韓米国大使は、No.187口上書で米国の認識は竹島を日本領としたラスク書簡のとおりと韓国外交部に回答した。
※この「竹島」の解説は、「SCAPIN」の解説の一部です。
「竹島」を含む「SCAPIN」の記事については、「SCAPIN」の概要を参照ください。
竹島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 01:25 UTC 版)
日本と韓国との間には竹島の領土問題がある。竹島は韓国に不法占拠されているが、岡田克也外相は「不法占拠」との文言を使用しない姿勢を示している。 2010年7月28日、政府関係者によると、韓国への配慮を唱える仙谷官房長官が「菅直人首相の意向」を持ち出し、7月末に予定されていた2010年度版防衛白書の閣議了承を9月に先送りした、と報じられた。国民新党の森田高政調会長は、「どこの国に忠誠を誓っているのか、どこの国の国益を重視するのか-と思う国民が出てくる」と指摘している。
※この「竹島」の解説は、「菅直人内閣の政策」の解説の一部です。
「竹島」を含む「菅直人内閣の政策」の記事については、「菅直人内閣の政策」の概要を参照ください。
竹島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 08:24 UTC 版)
竹島周辺のアシカ漁は、1900年代初頭から本格的に行われるようになった。乱獲が懸念されたため、1905年(明治38年)2月22日に同島の所属を島根県に決定、同年4月に同県が規則を改定してアシカ漁を許可漁業に変更、行政が許可書獲得者に対し指導して、同年6月には共同で漁を行うための企業「竹島漁猟合資会社」が設立されて組織的な漁が始まり、同年8月には当時の島根県知事である松永武吉と数人の県職員が島に渡り、漁民から譲り受けたニホンアシカ3頭を生きたまま連れて帰り、県庁の池で飼育していたがまもなく死亡し剥製(後述の各高校に所蔵されていた内の3頭)にした、と山陰新聞(当時)が同年8月22日に伝えていた。アシカ漁では平均して年に1,300-2,000頭が獲られた。1904年 - 1911年までの約8年間で14,000頭も捕獲された。明治大正年間の乱獲によって個体数・捕獲数共に減少していった。 昭和初期には見世物として使用するため興行主(木下サーカス・矢野サーカスなど)から生きたままのニホンアシカを求める依頼が増えたが、その需要に応える量を確保することが難しい状況になっており、1935年(昭和10年)ごろには年間20-50頭まで落ち込んでしまった。捕獲量が最盛期のおよそ40分の1にまで激減したことや、太平洋戦争勃発の影響で、戦中アシカ漁は停止された。
※この「竹島」の解説は、「ニホンアシカ」の解説の一部です。
「竹島」を含む「ニホンアシカ」の記事については、「ニホンアシカ」の概要を参照ください。
竹島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/13 01:21 UTC 版)
竹島は隠岐島の北西約157キロに位置する岩礁(総面積230,967平方メートル)である。1905年(明治38年)2月22日の閣議で島根県隠岐島司の所管とされ、同年5月17日に島根県の官有台帳に記載されている。戦時中は海軍用地として舞鶴鎮守府の所管となる。1953年(昭和28年)から韓国の実効支配下にあるが、日本政府の見解では日本国の国有財産として財務省理財局の所管となっている。海上保安庁は隠岐の島町に隠岐海上保安署を置いて周辺海域警備に当たっている。
※この「竹島」の解説は、「隠岐の歴史」の解説の一部です。
「竹島」を含む「隠岐の歴史」の記事については、「隠岐の歴史」の概要を参照ください。
「竹島」の例文・使い方・用例・文例
- >> 「竹島」を含む用語の索引
- 竹島のページへのリンク