島の名称
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/30 16:32 UTC 版)
島名は、島の至るところで見られる硫黄に由来する。 硫黄島の呼称は、第二次世界大戦以前は島民と主に大日本帝国陸軍の間では「いおうとう」、大日本帝国海軍の一部の間と明治時代作成の海図では「いおうじま」としていた。アメリカ合衆国ではこの海図の表記に従い「Iwo Jima(イオージマ)」とし、終戦後、同島はアメリカ軍の統治下にあったことから「Iwo Jima」と呼称されていた。 1968年(昭和43年)に同島の施政権が日本国政府に返還された際に、国土地理院発行の地形図上の呼称は「いおうとう」に戻されたが、1982年(昭和57年)の地形図改訂の際に、小笠原村は同島の呼称を「いおうじま」と東京都に報告、東京都庁ではこれに基づき「いおうじま」と公報したため、地形図においても「いおうじま」と呼称されるようになった。各報道機関でも同島を「いおうじま」と報道したことにより、2007年(平成19年)までは「いおうじま」と呼ばれていた。 硫黄島の呼称を「いおうとう」に統一するようにという要望は、旧島民およびその子孫などの間から古くからあった。この要望に応え、2007年(平成19年)3月に小笠原村議会では、第1回議会定例会の最終日に、同島の呼称を「いおうとう」に統一する「硫黄島の呼称に関する決議案」を提出し採択され、小笠原村は地名の修正を国土地理院へ要望した。 2007年(平成19年)6月18日、国土地理院及び海上保安庁海洋情報部(海図の作成を担当)にて構成される「地名等の統一に関する連絡協議会」は「硫黄島」の呼称を「いおうじま」から「いおうとう」に変更する同日協議された結果を発表した。併せて北硫黄島は「きたいおうとう」に、南硫黄島は「みなみいおうとう」にそれぞれ変更された。これにより火山(硫黄)列島の三島とも「島」の公式呼称はこれまでの「じま」から「とう」となった。国土地理院では、平成19年(2007年)9月発行の地形図から、ついで海上保安庁の発行する海図でも「いおうとう」が正式な表記となっている。 この変更直前まで国土地理院、海上保安庁の他、日本放送協会 (NHK) でも「いおうじま」としていたが、小笠原村役場と『日本の島ガイドSHIMADAS』(ISBN 978-4931230149)を発行する財団法人日本離島センターでは「いおうとう」としていた。 アメリカ合衆国の資料においても、一部はこの変更に追従して「Iwo To(イオートー)」と改められており、JTWCの台風進路予想図などはその一例である。 一方、「Iwo Jima(イオージマ)」は第二次世界大戦中、太平洋戦線で屈指の激戦地としてアメリカ合衆国でも特に有名であることから、この名称に特別な感情を持つ者もアメリカ海兵隊の関係者を中心に多くおり、退役軍人組織のひとつである「ベテランズ・オブ・フォーリン・ウォーズ」はこの変更に不快感を示した。実際に改名反対の声明を出した団体もあるという。その表れとして、その名がアメリカ海軍のワスプ級強襲揚陸艦の7番艦「イオージマ」(USS Iwo Jima,LHD-7)に残るほか、かつて就役したイオー・ジマ級強襲揚陸艦の1番艦(LPH-2)にも使われていた。 2006年にアメリカ合衆国で制作された、アメリカ映画『硫黄島からの手紙』の読みは「いおうじまからのてがみ (Letters from Iwo Jima)」である。 2014年(平成26年)3月11日の「領土・主権をめぐる内外発信に関する総合調整会議」により、島名の英語表記は「島名(読み仮名のローマ字表記)+” Island ”の表記を標準とする。」ことと決定し、「外国人にわかりやすい地図表現(第44回国土地理院報告会、2015年6月4日)」における例示の通り、公式な英語表記は「Ioto Island」となった。
※この「島の名称」の解説は、「硫黄島 (東京都)」の解説の一部です。
「島の名称」を含む「硫黄島 (東京都)」の記事については、「硫黄島 (東京都)」の概要を参照ください。
- 島の名称のページへのリンク