PRI一党独裁時代とは? わかりやすく解説

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PRI一党独裁時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 18:20 UTC 版)

メキシコの歴史」の記事における「PRI一党独裁時代」の解説

1940年成立したマヌエル・アビラ・カマチョ政権は、カルデナス政権期に悪化した資本家地主カトリック教会アメリカ合衆国との関係改善努めた第二次世界大戦期1942年5月メキシコ領土への攻撃ではなくメキシコタンカー「ポトレロ・デ・リャノ(Potrero del Llano)」が13日に、「ファハ・デ・オロ(Faja de Oro)」が20日に、ナチス・ドイツUボートそれぞれU-564とU-106)によって沈められたことから、22日メキシコナチス・ドイツ大日本帝国およびイタリア王国宣戦布告し第二次世界大戦参戦した太平洋戦争には空軍一部派遣してフィリピンの戦い日本軍交戦している。ラテンアメリカ諸国ではメキシコブラジルだけがドイツ及び日本海外で戦うために軍隊派遣した第二次世界大戦後メキシコ順調な経済成長見せ政権制度的革命党PRI政権によって文民統治維持された。1946年にはメキシコ革命党が制度的革命党(PRI)に再編されメキシコにおけるコーポラティズム組合主義国家体制完成した。 こうして成立したコーポラティズム体制は、それまで革命路線修正して労働者農民よりも資本家大地主重点移しながら経済開発進めていった。1950年代から1970年代までの間、他のラテンアメリカ諸国ではクーデター頻発し軍事独裁政権数多く誕生していったが、メキシコ文民統治体制維持しながら「メキシコ奇跡」と呼ばれる高度経済成長達成1968年にはラテンアメリカ地域初の近代オリンピックであるメキシコシティオリンピック開催している。他方この時期外交において親西側諸国立場から親米政策維持しながらも、キューバ革命後のキューバ対す米州機構による制裁反対や、日本ユーゴスラヴィアインドインドネシアカナダといった新興国との関係拡大などに努めた。 しかし、経済発展による格差の拡大や、隣国アメリカ比べ自由の制約されメキシコに不満を持つ者がこの時期学生知識層から出現する1968年メキシコシティオリンピック直前には、反政府デモ隊を軍隊によって弾圧し300人もの死者出したトラテロルコ事件や、1971年6月10日の「血の木曜日事件」など、体制による強権的反対運動弾圧が進むにつれ、徐々にPRI体制下での近代化の歪みが露わになっていった1970年成立したルイス・エチェベリア政権政治への不満を和らげるため、政治犯釈放行った対外的には資源ナショナリズム前面出した積極的な第三世界外交行い従来よりも更にアメリカ合衆国西側世界とは一線を画し外交路線を採ったが、政権末期には対外債務276ドルにまで膨張した1976年成立したホセ・ロペス・ポルティーヨ政権は、前政権以来経済危機克服するために国際通貨基金(IMF)の勧告受け入れ労働者賃金抑制緊縮政策を採り、さらには石油ブーム助けもあって一時的に経済危機回避した内政面では政治改革行い国会議席定数増やしたほか、比例代表制導入極左極右政党認可行い反政府派の不満の解消はかった外交面ではエチェベリーア以来第三世界外交継続し南北問題議論する初の南北サミット英語版)を主催した他、第一次ニカラグア内戦に際してソモサ王朝と戦うサンディニスタ民族解放戦線(FSLN)への全面的な支持表明した。しかし、石油依存した経済脆弱さ隠し難く1982年には876億ドル超える累積債務問題表面化しメキシコ国民経済危機直面した通貨危機の中で行われた選挙により、1982年PRIからデ・ラ・マドリが大統領就任した。デ・ラ・マドリは国際通貨基金(IMF)の勧告に従って緊縮財政続行ペソ切り下げ行い新自由主義化によって財政健全化目指したが、その代償国民生活窮乏した1986年メキシコ債務は1,000ドル越えた外交面ではコンタドーラ・グループ結成しエルサルバドル内戦第二次ニカラグア内戦停戦に力を注ぎ同時にアメリカ合衆国との関係改善行った1988年の大統領選挙は、PRIから分離して国民民主戦線(FDN)を結成したクアウテモク・カルデナスPRIカルロス・サリーナス・デ・ゴルタリ一騎討ちとなり、50.36%の得票辛うじてサリーナス勝利したが、史上かつてないほどのPRIの低得票率加えクアウテモク・カルデナスのように党内からも離反者相次ぐなど、PRI一党制限界は誰の目にも明らかになっていた。サリーナス政権下では、原油価格の上昇が産油国メキシコ追い風となり、経済堅調維持したサリーナス政権は「サリーナス革命」を掲げながらも社会改革よりも経済開発優先して政権以来新自由主義推進し1992年憲法改正し共有農場たるエヒード廃止と、農地利用市場経済化を推進し、ここにメキシコ革命理念一つだった農地改革精神失われた。 さらにサリーナス市場原理基づいてメキシコとアメリカ合衆国経済統合進め1992年にはアメリカ合衆国、及びカナダ北米自由貿易協定(NAFTA)を締結したが、NAFTA先住民農民生活基盤破壊する性質持っていたため、NAFTA発効1994年1月1日最南部のチアパス州からマヤインディオ主体としたサパティスタ国民解放軍(EZLN)がインディオ生活基盤メキシコ農業破壊するNAFTA発効抗議して武装蜂起し近代以降メキシコあり方根本異議唱えたサリーナス政権末期同年3月には大統領候補ルイス・ドナルド・コロシオ暗殺され国民政治不信は一層深まることになった大統領候補暗殺直後行われた1994年大統領選挙では、コロシオに代わって選出されPRI候補エルネスト・セディージョ大統領就任したが、セディージョは就任直後からサリーナス政権汚職や、EZLN蜂起への対応に追われることとなった経済の停滞如何とも難く1994年12月20日にはヘッジファンドによって通貨危機(テキーラ・ショック)が勃発した1996年には中米自由貿易圏設立運びとなった一方EZLNとの関係では、1996年2月サン・アンドレス合意締結されたが、以降交渉進展はなく、1997年にはメキシコ軍支援する準軍事組織によってチアパス州インディオ虐殺事件発生した2000年の大統領選挙国民行動党(PAN)から出馬したビセンテ・フォックス・ケサーダ勝利すると、前身となった国民革命設立以来71年続いたメキシコ一党独裁体制終焉迎えた

※この「PRI一党独裁時代」の解説は、「メキシコの歴史」の解説の一部です。
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