高橋監督時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 11:59 UTC 版)
2016年 チームは開幕3連戦(VSヤクルト)において3連勝スタートを切った。なお、巨人が新監督で開幕3連戦を3連勝するのは、1981年の藤田元司以来35年ぶり。序盤は阪神・広島と首位争いを繰り広げ、4月は15勝10敗3分けと一歩先を行く展開が続いていたが、前年同様打撃陣が低調で、月が替わった5月は21日の中日戦から7連敗で急失速した。特に代打での打率と失策率が12球団最下位だった事や、中継ぎ陣が打たれる試合が多く、負けが込む様になった。交流戦は五分で終えるも6月10日のソフトバンク戦で同一カード3連敗を喫し、借金生活に入ったのと同時期に広島の快進撃が始まると、首位を奪われてしまう。その後、首位広島を一時4.5ゲーム差まで追いつめたものの、8月7日の広島戦で7-6とリードしていた9回に澤村が菊池にサヨナラホームランを打たれて同一カード3連勝のチャンスを潰すと、広島が持ち直して再び差を広げ始めた。8月24日に広島との直接対決で敗れた事で広島にマジックが点灯し、その後も波に乗れず、9月10日の対広島戦で敗戦したことにより広島のリーグ優勝が決定、2年連続V逸が確定した。その後はDeNAとの2位争いを制し、シーズン2位が確定。坂本勇人が初の首位打者になり、菅野智之が2年連続で最優秀防御率と最多奪三振を獲得、澤村拓一がセーブ王になるもエース・菅野の勝利投手になる権利を3回も消滅させてしまったこともあり、2桁勝利を達成したのは田口麗斗のみだった。クライマックスシリーズでは、クライマックス初出場の3位・DeNAと対戦。しかし、1勝2敗で1stステージで敗退し、5年連続のファイナル出場が途絶えた。10月13日に足のスペシャリスト鈴木尚広が現役引退を発表した。また、オフに総額30億円をかけた大補強を敢行。ソフトバンクから森福允彦、DeNAから山口俊、元楽天のケーシー・マギー、日本ハムから陽岱鋼、抑え候補の新外国人としてアルキメデス・カミネロを獲得した。 2017年 開幕5連勝と好スタートを切り、序盤は阪神と2位を争った。しかし、この間に昨シーズンオフにFAで獲得した山口俊、陽岱鋼らFA補強組が不振や故障で相次いで離脱。5月中旬以降は負けが込みだし、5月25日の対阪神戦(甲子園)に敗れるとその後も広島に3連敗、4連敗継続中に迎えた交流戦では楽天、オリックス、西武相手に同一カード3連敗を喫し、球団史上ワースト記録となる13連敗を喫した。6月、球団OB初のGMとして、鹿取義隆が就任した。7月中旬に山口俊が傷害事件を起こし、シーズン終了までの出場停止・罰金・減俸という処分が科せられた。また、前半戦終了後、二軍監督の斎藤雅樹が一軍投手コーチ(ベンチ)に、ベンチ担当の尾花高夫がブルペン担当、ブルペン担当の田畑一也が前半戦から苦戦している広島専従スコアラー、後任の二軍監督に巡回打撃コーチの内田順三が就任することを発表した。後半戦以降は二塁にマギーをコンバートする攻撃重視の策が功を奏し、DeNAとの3位争いを演じるまで持ち直した。9月26日の対ヤクルト戦で中井大介が岩橋慶侍から本塁打を放ち、これが球団通算1万号本塁打となった。10月1日の試合で敗れると、同日にDeNAが勝ったため、シーズン4位が確定。30億円かけた補強も実らず、Bクラスに終わった。巨人がBクラスになるのは11年ぶりで、2007年に導入されたCSへの出場を球団史上初めて逃した。カード別の対戦成績では広島に7勝18敗と大きく負け越した以外、他の4球団には勝ち越したが、同一リーグの4球団に勝ち越しながらBクラスに転落したのはNPB史上初。投手陣は先発が菅野、マイコラス、田口だけで27の貯金を作った先発陣とは対照的に、中継ぎ陣は2006年の62を下回る57ホールドと、球団史上ワースト(12球団断トツのワーストで11位のヤクルトは85ホールド)だった。27ホールドのマシソンが安定した一方でマシソンに続くのが10ホールドの西村健太朗で、昨シーズン19ホールドの山口鉄也が3ホールド、新戦力の森福がソフトバンク最後の年は16ホールドだったのが6ホールドと戦力にならず、勝ちパターンを確立出来なかったのが誤算だった。打撃陣は球団史上ワーストの129併殺を記録し、ワースト10にマギー(2位・20個)、長野(4位・17個)、坂本(6位・16個)、村田(7位・15個)といった主力選手がランクインしたことに代表される様に、攻撃もちぐはぐであと一本が出ず、1点差のゲームを27試合も落とした一方でものにしたのはセリーグワーストの13勝。接戦の弱さを露呈する結果となった。シーズン後若返りを図る一環として村田に戦力外通告を行い、片岡、相川、松本哲、藤村らが現役を引退。先発の一角を担っていたマイコラスもメジャー復帰が決まり、退団した。 2018年 球団ロゴを刷新し、中央に「G」、左右に創設年の「1934」、下部に本拠地の「TOKYO」を配置した。 主な補強選手として、西武からFA宣言した野上亮磨、前中日のアレックス・ゲレーロ、マイコラスに代わる先発候補として期待される新外国人テイラー・ヤングマンを獲得。さらに、3月上旬には上原浩治が10年ぶりに巨人復帰。3月中旬には野球賭博問題に関与し、失格処分のち育成選手となっていた高木京介を2年ぶり支配下登録することが決まった。 開幕から若手の岡本和真や吉川尚輝がスタメンに定着するなど若手が活躍した打線の好調で上位戦線につけた。しかし、6月に篠原慎平、河野元貴がInstagramに不適切な動画を投稿し出場停止になり、さらに7月には柿澤貴裕がチームメイトの野球道具・ユニフォームを盗み転売していたことが判明し契約解除となる等、前年に続き不祥事も相次いだ。一連の不祥事の責任を取る形でオーナーの老川祥一が辞任し、後任として山口寿一が新オーナーに就任。7月以降は育成から這い上がったC.C.メルセデスが菅野と共に先発陣を支えたが、7月17日の阪神戦で坂本勇人が左脇腹を痛めて一軍登録抹消、さらに7月27日のヤクルト戦で新外国人投手ヤングマンが左手骨折、吉川尚輝が8月1日のDeNA戦でヘッドスライディングによる左手の骨折で戦線離脱と、夏場に故障者が続出すると、2位以下を5チームで争う展開の中で9月に借金が込みだし、3位をDeNA、阪神、中日と争う様相を呈す。結局シーズン最終盤までDeNAと3位を争い、1度は自力でのCS進出が消滅するも、10月3日にDeNAがヤクルトに敗れたため3位に浮上すると同時に自力でのCS進出の可能性が復活。10月10日のシーズン最終戦(阪神戦)で岡本和真がプロ野球史上最年少となる100打点を望月惇志からの本塁打で決める活躍などで勝利し、3位が確定。2年振りのCS進出となった。なおシーズンの成績は67勝71敗5分けと負け越しで、勝率が5割を切ってCSに進出したのは球団史上初である。マイコラスの抜けた穴や田口や野上の不調があった先発陣は菅野が8完封、昨年傷害事件を起こしシーズン終了までの出場停止を命じられた山口俊が2完封と、21完投は断トツで12球団トップだったものの、中継ぎ・抑えはカミネロが度重なるリリーフ失敗で二軍降格になったのを皮切りにマシソン、アダメスと抑えが固定出来ずセーブ数は25と12球団ワースト、またマシソンも怪我により離脱した影響で山口俊をリリーフに回す等、2年連続12球団ワーストの73ホールドと崩壊した。前年同様広島に大きく負け越し、首位独走を許す事になった。球団ワーストタイの4年連続V逸と12年ぶりの勝率5割以下が確定し、オーナーは監督の高橋に若手育成の手腕を評価し2019年も続投を要請する意向をするが、高橋が「チームの勝敗は監督が背負うものと責任を取って辞めます。」と自ら辞任を申し入れ了承された。同一監督が無冠のまま辞任したのは堀内恒夫以来となった。CSファーストステージではヤクルトと対戦。2連勝で3年ぶり(3位になったシーズンとしては8年ぶり)のファイナルステージ進出を決めたと同時に、第2戦で菅野がCS史上初ノーヒットノーランを達成した。ファイナルステージでは広島と対戦するも投打に振るわず、3連敗でファイナルステージ敗退となった。オフには杉内俊哉、脇谷亮太、山口鉄也、西村健太朗、寺内崇幸といった2度の連覇を支えた選手が現役を引退した。また、中井大介(DeNAに移籍)、廖任磊(西武に移籍)らが戦力外となり、ケーシー・マギー、アルキメデス・カミネロの両外国人の退団も発表された。 この年は平成最後のペナントレースだったため、巨人は西武と共に「平成時代に一度もリーグ最下位を経験しなかった球団」となった。
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