静態保存から復元工事完了まで
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「国鉄C61形蒸気機関車20号機」の記事における「静態保存から復元工事完了まで」の解説
当機は保存当初から雨除けの屋根などはかけられず、直射日光や雨、まれに雪を被るなどの何処にでもある静態保存機としての体(てい)であった。しかし、煙突に蓋がされ、時おり公園の管理者やボランティアによって整備がなされたこともあり、外観は比較的良好な状態を保っていた。また、展示開始当初より運転台内部への立ち入りが制限されており、そのため運転機器類の盗難による欠品がほとんど出なかった。ただし、保存開始当初と比べると、前照灯が大形化しているなど異なる部分も見られている。 当機が保存されている群馬県では、1988年11月にD51 498が動態復元され、上越線「SL奥利根号」(後の「SLみなかみ」)などとして運転が開始された。同機は国鉄分割民営化によって誕生したJR東日本のスターとして、復活当時より東日本管内各地でのイベント運行のために転々とするが、年々、各地方自治体からによるSL運行の要望が多々あり、D51 498だけでは要望を満たしきれない状況が続いていた。このため、1998年に真岡鐵道が動態復元したC11 325を借り入れ、2001年より只見線「SL会津只見号」などとしてローカル線でのSLイベント出張運行に使用し、各地でのSL運行の要望に応えるようにした。しかし、C11 325は小型のタンク機関車であり、自治体からの運行機関車の要望に応えられないこともあった。なお、1999年にJR東日本が2機目のSLとして復活させたC57 180は、基本的に「SLばんえつ物語号」専用であり、特別な場合を除き新潟支社および仙台支社(磐越西線内に限る)管轄外でのイベント運転には起用されなかった。また、東日本管内のイベント運行のうち、数回は秩父鉄道「SLパレオエクスプレス」として活躍するC58 363も登場したが、ATSの関係などにより2001年からは秩父鉄道線内のみの運行になっている。 2008年(平成20年)12月、「SL湯けむり号」として運行を控えていたD51 498が、小牛田運輸区での火入れの際に機関助士のミスによって空焚き事故を起こしてしまう。約9か月間D51 498が使用できなくなったことによる様々な弊害が生じる結果を引き起こしたこの事故がきっかけとなり、JR東日本はD51 498の予備機という名目のもとで3機目となるSLの動態復元に向け、SL復活プロジェクトを2009年(平成21年)2月に立ち上げた。プロジェクト調査開始当初の報道では、碓氷峠鉄道文化むらに保存されているD51 96をはじめ、かつて北海道旅客鉄道(JR北海道)が運行していたC62 3なども調査リストに含まれていたが、まだ当機のことは報じられていなかった。 2009年6月、JR東日本は当機が復元できる可能性を秘めているとして、近く復元する方針を固めたとの報道がなされた。この時点ではJR東日本からの直接的な動態復元についての告知はなく、各報道機関への声明発表のみとされていた。そして12月、JR東日本より12月度記者会見ならびにホームページ上にて、当機の動態復元についての正式な発表が行われた。この時点での復元後の当機の取り扱いとしては、まず2011年春以降を目処にD51 498の本拠地である高崎車両センター高崎支所に配置され、D51 498同等「SLみなかみ」(現「SLぐんま みなかみ」)および「SL碓氷」(現「SLぐんま よこかわ」)のメイン牽引機として年間110日程度の運行が行われる予定であることとされていた。また、D51 498が検査中の場合、あるいは「SLみなかみ」などの運行で高崎に残っている際にイベント要請があった場合、東日本管内のイベント列車牽引機として抜擢することも予定されている。当機の復元により、かねてより課題だった大型蒸機によるイベント運行に対して柔軟に対応できることや、前述のトラブルなどに際しての代走がスムーズに行えるなどのメリットが生まれている。また、既に運行されているD51形とC57形双方の構造と製造技術を兼ね備えていることもあり、整備や運転面などでの有利さも、当機が動態復元機として選ばれる理由となった。当機の復元に伴って、高崎車両センターが保有する旧型客車7両もあわせて再整備することが発表され、復活直前の2011年(平成23年)早春に第一次工事(ドアの改造・手洗いの整備)を実施・完了した。 動態復元の正式発表後、華蔵寺公園遊園地では、公園を離れることを記念し、12月下旬より運転室内の特別公開が行われた。また、当機の復元を祝う看板を用意した他、報道当時の新聞を諸元説明の隣に掲示するなど、復活への意気込みをアピールした。最終的な展示は年明けの2010年1月11日まで行われ、その後は復元準備のために当機の周囲への立ち入りを禁止する処置が施された。1月19日、3台のトレーラーによって炭水車、ボイラー、主台枠および走り装置の3つに分けられた。翌20日未明より搬送され、同日の明け方までに復元工事が行われる大宮総合車両センターへ到着、21日に復元工事着工式が執り行われ、本格的な解体作業が開始された。この復元に際しては、映画「男はつらいよ」などで知られる山田洋次監督から、このC61 20の復元にまつわる作業などをドキュメンタリー映像として記録したいとの申し出があり、復元の流れに沿って映像を撮影している。ボイラーは3月から11月までの間、サッパボイラにて修復を実施、また動輪・車輪は住友金属工業にて整備・新造が行われた。ボイラーは保存状況がやや粗雑だったこともあり、全体の4割が腐食していたが、煙管・加熱管をすべて交換することはもちろん、蒸気ドーム自体の修繕も念入りに行われた。また、他の部品でも使用できなくなったものも点在し、新たに新規製造する部品も多かったことから、これらがのちの復元作業の進行に影響を及ぼすこととなった。 2010年12月10日には復元作業を終え戻ってきたボイラーと整備が完了した主台枠との取り付け作業が行われた。明けて2011年(平成23年)1月27日大安に、当機の火入れ式が同センター内にて行われ、これをもって1973年に火を落として以来、38年ぶりに当機のボイラーに火が再び入れられた。本来はこの時点ですべてが組み立てられ、火入れ後そのまま昇圧を行う予定ではあったが、腐食部位が予想以上に多かったことから整備が間に合わず、この時の当機は前日までに組み立てを行い車体塗装を施工、動輪を繋ぐ連結棒などのない、いわゆる仮組立の状態で火入れ式に臨み、挙行後は自然消火された。また、火入れ式に間に合わせるべく急ピッチで組み立て作業を行っていたため、当機の前面ナンバープレートは所定より40 mm下に取り付けられていたり、テンダーのナンバープレートも若干右下がりとなっていたりしたが、営業開始後に前面ナンバープレートは位置修正が行われた。遅れて2月16日に本格的な火入れを行い、ボイラーの昇圧試験が実施され、汽笛の吹鳴試験もあわせて行われた。ここで煙突から煙を上げ汽笛を鳴らす当機の復活を迎えた。2月21日より、同センター内の工場試運転線にて構内試運転が実施された。この際、初日の21日と最終日24日は「はつかり」のヘッドマークを掲げ、続けて23日には2009年暮れにD51 498が上越線で試運転を行った際に掲げられた「ゆうづる」調デザインの「C61復活記念 試運転」のヘッドマークを掲出して試運転を行っている。東北新幹線「はやぶさ」運転開始の3月5日には、これにあわせたイベントを開催し、「はやぶさ1号」および「はやぶさ3号」との並走を試運転線で実施した。この際、当機には日本貨物鉄道(JR貨物)門司機関区から借用した「はやぶさ」のヘッドマークを装着し、さらに鉄道博物館の車両展示線にて初めての一般公開、および完成後の報道公開が行われた。3月30日付で車籍復帰を果たして大宮総合車両センターを出場、4月1日深夜には新しい住処となる高崎車両センターへ回送された。なお、3月11日に発生した東日本大震災による当機への影響は出ていないが、電力供給不足などによる理由により、予定より数日ほど遅れて出場した。 復元工事開始前からの歩みは、所有する高崎支社のホームページにも掲載され、「蒸気機関車 C6120 復元への道」と題して紹介されている。新聞報道などでは分からなかった当機の復元過程を、事細かに写真で見ることができる。
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